こちらは神楽殿。
この建造物もかなり古く伝統のあるもののようです。

この神社の神楽は、室町時代から受け継がれていると言います。
春に神楽、秋に獅子舞が舞われていたそうですが、現代では獅子舞は絶えてしまい、春秋とも神楽が舞われています。









そして総檜、権現造りの拝殿。
平成に入り、新築造営されています。
大変重厚で厳かな社殿です。

厄除けで有名なため、特に正月はいつも本殿内にて御祓いを行っています。私も厄年に受けましたが、太鼓の重低音が胃に響き迫力がありました。



進雄神社は、貞観11年(869)疫病が蔓延した折、清和天皇の勅掟により、尾州津島神社を勧請し、この地に祀ったのが始まりと言われています。
天喜5年(1057)、源頼義が奥州征討の折、武運長久を祈り、社殿を修造、神領を寄進。
戦国時代には、武田・上杉・北条等の署名の古文書が収蔵されて、代々武将に信仰されていました。
江戸三代将軍徳川家光により御朱印地三十石を寄進されています。



「進雄」をそのまま音読みして「シンユウ」とも言っていたようです。
かつては「天王さま」呼ばれ、大変親しまれていました。

ここでちょっと「天王」とスサノオの関係を調べてみました。
「天王」とはもともと「牛頭(ごず)天王」を指し、インドの祇園精舎の守護神として有名です。京都祇園の八坂神社も牛頭天王を祭神としていました。守護神としての性格からか、スサノオと(牛頭)天王は同一視されていました。
明治政府により神仏分離が行われた時、「天王さま」という呼び名を廃し、「進雄神社」としたとのことです。


「進雄神社ホームページ」

2005年1月7日に撮影。
夕方のため、影が差し、薄暗くなってしまいました。

進雄神社初詣 2



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