本殿へ下る石段の途中左手にある摂社の「月読(つきよみ)神社」。
「月夜見(つきよみ)」を祭神としています。
古い拝殿であったとも言われ、明治時代までは牛王堂として祀られていたとか。

「月夜見」は「月読(つくよみ)」と同じ神様なのでしょうか。
ツクヨミは、イザナギが冥界降りの後川で沐浴している時に、天照大神とスサノオとともに生まれた神様であり、重要な3柱のひとつではあるが、具体的な記述の極端に少ない神様です。
この神様が祀られているところを始めてみました。
気になる所。





そして鮮やかな朱塗りの「楼門」。
昭和51年に国指定重要文化財となっています。
改修工事をしていたため、御水舎は使えず、清めないまま参拝する。
中央にお賽銭箱があり、その両側には小さな入口があり、中へ入れるようになっています。








そして色鮮やかに彩色された「拝殿」。
こちらも昭和51年に国指定重要文化財になっています。
その奥に本殿がありますが、画像には納められず。
寛永12年(1635年)、3代将軍家光により創建され、元禄11年(1698年)5代将軍綱吉により大修理が行われています。
本殿は明治45年特別保護建造物(旧国宝)に指定され、昭和25年には国指定重要文化財となっています。
どれも美しい彩色や彫刻で彩られ、しばしじっくりと見入ってしまいました。







伝説上の神獣が至るところに描かれ、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
ハードの性能が悪いため、不鮮明な画像しか撮れず。
玄武と思しき亀が中央におり、下の段では甲羅と角を持つ神獣が波間を疾走しています。




この神社の祭神は、「経津主神(ふつぬしのかみ)」と「姫大神(ひめおおかみ)」です。
「姫大神」は「比売大神」とも表記され、正確な由緒は伝わっていないそうです。
一説には綾女庄(この地方の古い名称)の養蚕機織の神と言われています。
一方、「経津主神」は『日本書紀』では大国主命の国譲りでも大事な役割を担う神様です。『古事記』における「建御雷之男神(たけみかずちおのかみ)と同じとされています。
「経津主神」の祖は、イザナミの死因となった火の神カグツチをイザナギが三段に切った時十握剣(とつかのつるぎ)から滴った血から生まれた天安河の辺の五百個磐石と言われています。
そういう所からも解るように剣に関係した神、闘いの神としての性質が強かったように思えます。
それを裏付けるのが、この大杉。樹齢1200年と言われています。藤原秀郷が平将門討伐の戦勝を祈願して36本の杉を奉納し、そのうちの1本だとされている。根元には大きな注連縄が巻かれ、ほとんど枯れてしまっているのですが、大変迫力のある杉です。
本殿の真裏に佇んでいます。

榛 名 巡 り

 





 






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