南紀・熊野巡り2

本来、本宮は大斎原(おおゆのはら)という所にありましたがが、明治22年の大洪水によって上四社以外は消失してしまったといいます。
そこもツアーコースに入っていたらよかったのにと、悔やまれます。

記念に八咫烏の描かれたお守りを購入。
妙に愛らしく感じるのですが。

本宮参拝後、昼食をとり、瀞峡巡りのメンバーと合流して熊野速玉大社へ。
こちらは、本宮の古色蒼然さとは正反対にどこもかしこも朱色だらけといった印象でした。
樹齢1000年(ガイドさんは800年と言ってました)の梛の木が大迫力でした。すいません、撮影はしてません。

ツアーならではで、この辺りからもう大忙しで走り回る程、少ない時間内で参拝することに。

もともと速玉大社は、1〜2km程離れた神倉山に祀られていたのが、後に現在地に遷され、神倉山の古宮に対して、ここを新宮と言うそうです。
神倉山も途中そばを通りましたが、山の上方にあり500段以上階段があるそうです。できれば、ここにも寄ってもらいたかった所ですが、体力的に厳しかったのは確か。でも残念!

速玉大社の主神は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ=イザナギ)と熊野牟須美神(くまのむすみのかみ=結大神=イザナミ)のニ柱。
このニ柱は熊野本宮大社にも祀られています。
熊野が本宮・新宮・那智の三山として連係を結ぶに及んで、家都御子大神・牟須美神・速玉之神を共に祀るようになったと言います。

ところでこの日、どこかの取材が入っていたらしく、男女二人の参拝シーンの撮影をしていました。後で聞いたら、女性は城戸真亜子だったとか。後姿だけでしたが、手足が長くすらっとして綺麗でした。

ツアーはこの後土産物屋に寄り、勝浦へ。
途中、徐福公園のそばも通りました。秦の始皇帝の命で不老長寿の仙薬を求めて上陸したのが新宮市の浜辺だと言われています。実際は、徐福は若い男女を沢山同行させていて、始皇帝を見限り新天地を求めてやってきたと、最近では言われているそうです。

勝浦では有名なホテル浦島に向かいました。忘帰洞という洞窟温泉を初め6箇所の温泉があり、スタンプラリー形式になっていて、3箇所で1つ、6箇所で2つの記念品をもらえるとのこと。夕食前に急いで3箇所あわだたしく巡り、気持ち良かったような、疲れたような、微妙な気分になりました。
紀伊半島南端近くということで、ふとん一枚でも汗ばむくらい夜も暖かかったです。窓からちょうど鋭く尖った三日月が見え、海や半島・島々を眺めつつ、不思議な思いに駆られました。

そしていよいよ熊野本宮大社へ。
この前でツアーは、瀞峡巡りの人たちと二手にわかれました。
半分以上はジェット船に行ってしまったので、ここでは少ない人数でゆっくり見ることができました。

まずは鳥居。
本当はこの左側に八咫烏の幟があるのに、うまく収められませんでした。やはり逆光で白くなってるし・・・。


鳥居をくぐると、約150段の階段があります。両側は、「熊野大権現」と書かれた奉納幟がずらりと並んでいます。
階段を上りきると神門。ここではばっちり八咫烏が撮れてますね。

八咫烏は、熊野の神様のお使いだったり、神武天皇の東征の時神武天皇を導いたことで有名ですが、以外と姿が可愛いなあ、というのが正直な感想です。もっと写実的な姿を想像してました。

神門を入ったら撮影は出来ないとのことなので、神門の手前から本殿は撮影しました。
古くからの伝統を感じさせる質素な佇まいに感動です。
檜皮拭きで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

主神は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)。
記紀神話では、スサノオに当てはめられているそうです。
本殿の左には、イザナギとイザナミを祀っているとガイドさんが言っていましたが、正確には、熊野牟須美神(くまのむすみのかみ=那智大社の主神=イザナミ)と事解之男神(ことさかのおのかみ)、御子速玉之神(みこはやたまのかみ=速玉大社の主神)とイザナギ。
右側には、天照大神が祀られています。

この辺りもくわしい研究がなされていると思いますが、もともといた熊野の神々がどういう経緯で大和に統合されたのかが伺い知れるというものです。
熊野=スサノオ=根の国という、異界の姿が垣間見られます。
出雲同様、抵抗したが後に協力関係を結んだ大きな勢力を持つ地方だったと容易に想像がつきます。












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