観世音寺の参道入り口には、このような石碑があります。
この書体は創建当時のものだそうです。



太宰府観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の菩提を弔うため、
創建されました。
完成したのは天平18年(746)、80年かかったとの事。
当時、西日本最大の寺であり、「西の戒壇」と呼ばれ、
日本三戒壇のひとつでした。
戒壇とは、正式な僧侶の資格を与える施設を指します。
予備知識がなかったため、戒壇院本堂へは行きませんでした。
別のお寺だと思っていたんですね。

旅行から戻り、『週間日本の仏像』の
「観世音寺馬頭観音と九州の古仏」を入手してから知りました。

資料として手に入れたかったのですが、
先に目にしていたら、後の収蔵庫である宝蔵での感動は
かなり削がれていたでしょう。

平安時代になると、度重なる火災や台風などの被害により、
創建当時の建物は全て失われてしまい、
その後再建されたが、元の規模には戻らなかったそうです。











ここには、日本最古と言われる梵鐘があります。
創建当初のものがそのまま残っています。
鐘楼も創建当時のものであり、
菅原道真も歌に詠んだと言われています。

木立の中にひっそりと佇む姿は、
奈良時代の面影を潜め、
当時の様子を物語っています。


















五重塔の礎石です。
鐘楼の側にありますが、見落としてしまう程、
何気なく存在しており、
どのような塔がこの上に建てられていたのか、
想像を逞しくさせます。










正面に位置する講堂。
元禄元年(1688)に再建されたもの。
創建当初は、この2.6倍の威容を誇っていたそうです。






















南大門跡。
礎石のみ残っています。









羽黒・湯殿・鶴岡巡り






建造物は再三の災害により消失してしまいましたが、
仏像等は平安期復興以降に作られたものが多く残っています。
敷地東側の宝蔵に納められ、
500円の入場料を払うと見る事ができます。
2階に上ると、巨大な仏像達に出迎えられます。
間近に見るそれらの像は、素晴らしいの一言。
息を呑んで、眺め入りました。
中心にある馬頭観音の迫力には圧倒されます。
憤怒の形相を持つ観音として有名ですが、
細部にわたる緻密な造りに目が離せなくなる事必定。
他にも十一面観音や四天王像など、
どれも見事なまでの造形美を誇っています。
これらを見ずして観世音寺を訪れた意味はないと言い切れるでしょう。
正に重要文化財の宝庫と言えます。


この後、博多に戻りましたが、予定より大幅に早く、
午前11時頃には博多駅に着いていました。
とりあえず食事を、と思い、うろ覚えでチェックした
VEGE STYLE DINING 在。(ARU)へ。
博多駅新幹線高架下にあり、とてもお洒落なお店です。
確か有機野菜しか使用していなかったと思います。

その後、高速バスの時間までの3時間、何をしようかとうろうろと
彷徨いました。
折角博多へ来たのだから、と、櫛田神社へ行く事に。


地図を頼りにかなり歩きました。

立派な楼門があります。

櫛田神社は、「博多祇園花笠」の出発地として知られています。
創建は古く、天平宝字元年(757)には、
主祭神である大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)を
祀っていたそうです。

一時期廃れていたが、
豊臣秀吉により復興され、
不老長寿、商売繁盛の「お櫛田様」として信仰を集めています。
















こちらが拝殿。
左殿に、天照皇大神(大神宮)
中殿に、大幡主大神(櫛田宮)
右殿に、素盞鳴大神(祇園宮)
を祀る。


左下は、北神門。







天満宮を後にしたのは午前9時半頃でした。
月曜日でなければ、九州国立博物館へ寄っていたのに・・・と呟きつつ、
次の目的地の観世音寺へ向いました。
この時間になって、天満宮行の観光バスと何台すれ違ったでしょうか。
次から次へと大型のバスが参道に向っており、この大集団に紛れていたら、と思うとぞっとしました。

観世音寺は歩いて20分程だというので、地図を見ながら歩きました。
日頃の運動不足で足が痛くなるのは仕方ないとして、晴天のため汗だくになったのがちょっときつかったですね。

天満宮を離れると殆ど地元の人しかおらず、閑散としていました。

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