渋川の古桜と観音山

それにしてもこのお寺のしだれ桜は見事でした。
大振りな枝に多くの花が咲き、花の重みで垂れ下がっているのでは、と思わせる程でした。

桜の手前に、台座から高さ約6メートルの菊女(きくじょ)観音像があります。

国峰城主・小幡信貞(のぶさだ)が寵愛した美しく聡明な腰元、お菊を祀ったものです。
お菊は、片時も側から離そうとしない程城主の寵愛を一身に受けていたため、奥方や他の腰元の嫉妬を買い、無実の罪を着せられて、菊が池で毒蛇や毒虫の柩に閉じ込められるという刑により19才にして命を落とします。
1586年9月19日のこと。
その後、お菊の追善供養は何回も行われ、1767年、万仭道坦禅師(ばんじんどうたんぜんじ)や多くの人の努力により、お菊は菊が池に大権現として召還しお祀りされました。
それ以来、お菊は、苦難に苦しむ人々の心の拠り所となる事を誓い、観音様として慕われるようになったといいます。
という事は、即ち、お菊は非業の死を遂げたために、かなりの怪異を起こしたということなのでしょう。
祀る事により、その怒りを沈め、観音としての功徳を発揮するようになるという、昔から日本で行われてきた形式を見事に踏襲しています。
菊女観音は、優しい穏やかな美しいお顔をしており、その姿もたおやかで、とても慈悲深い姿で顕されていました。
参拝する時は、「南無菊女観音(なむきくじょかんのん)」と三回唱えるそうです。


こちらが菊女観音様。
逆光だったため、レッタチソフトで加工。
いまひとつ、その美しさは写し取れていません。



また、宝積寺は、ボランティア活動も盛んに行っており、この日は、「カンボジア写真展」を行っていました。
富岡実業高校の学園祭などで集めた募金により、カンボジアに新しい小学校を建てた経緯について写真パネルで紹介。
私も僅かですが、募金箱に入れてきました。
そして、「かんのんボランティア会」を主催しており、カンボジアやミャンマーなどに支援を行っているそうです。












今回も見上げてみました。
太陽光が花の間より放射状に光を放っています。






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