今日明日と2日間お世話になるドライバーさんは、ホルヘさん。
インディオの血が濃いと思われる容貌をした物静かな方でした。
10時出発予定が、バタバタしているうちに10時半になってしまう。
私はそのまま、Lol-tun(ロルトゥン)という鍾乳洞へ行くものと思っていましたが、これから「ユカタン人類学博物館」(Museo Regional de Antropologi y Historia)へ行くと言う。
昨日、朝8時頃ならドライバーさんが来る前にここには来ようと思えば来られる、と兄が言っていたが、10時半になってしまったので、予定には入っていないものと思い込んでいました。
シティの「人類学博物館」とは比べ物にならない程の小さな博物館ですが、出来れば見ておきたいと思っていたので、悪いような嬉しいような気分でした。
博物館の側の路上にバンを停め、ドライバーのホルヘさんが、わざわざ博物館まで開いているかどうか確認しに行きました。
ガイドブックに開館時間や電話番号が載っている事を告げると、正しくない場合が多いと言っていました。
開いているのを確認してもらってから、私達はバンを降り徒歩で博物館へ向いました。
この「ユカタン人類学博物館」は、Paseo de Montejoに面しており、白亜の美しい建物が大変目をを引きます。
入り口は、小道を入った側にあります。
1911年から1917年まで(亡くなるまでの6年間のみ)、General Francisco
Cantonの住居でした。
そのため、Palacio Cantonとも呼ばれています。
設計は、イタリアの建築家Enrico Deserti、折衷主義建築様式(the
eclectic architectural style)の代表と言われています。
内装も同様に、白を基調に、シンプルで壮麗な装飾が至る所に施されています。
この博物館は、プレ・ヒスパニック・マヤ(スペイン人に占領される前のマヤ文明)やコロニアル(占領)期、メキシコ独立後のユカタン文化を紹介しています。
1人37ペソ。
13歳未満と61歳以上は無料となります。
ビデオ持込は、30ペソ追加。
フラッシュは禁止されていますが、カメラ撮影は自由のようです。
最初の部屋で目をひくのは、マヤ人独特の価値観により変形させられた頭蓋骨の展示物でしょうか。
マヤでは、高貴な者は幼い時より、左下画像のように、板で頭部を挟み、
後方へ長く突き出すように変形させていました。
確かに、驚きは隠せませんが、文明の一様式として、受け入れるべき習慣です。
この習慣は、スペイン人が来るまで行われていたそうです。
こちらは、「支配階級の人物像」とされているものです。
解説によると、この髪型(冠)は、雨の神、Chaac(チャーク)の象徴。
Chaacを被る事により、人々を治める者としての権威を顕したそうです。
Chichen Itzaより出土
900〜1000A.D.
これは有名な、「CHAC MOOL」(チャック・モール)。
腹に掲げる皿の上に、生贄の心臓を置いたと言われています。
厳密にはマヤではなく、トルテカ文明に見られるものだそうです。
本来の名は、不明との事。
「チャクモール」 from Wiki (09.3.14)
Chichen Itzaより