Izamal(イサマル)に着いたのは、午後4時頃だったでしょうか。
Uxmalの暑さにやられ、すっかり寝てしまい、どういうルートだったかは確認できませんでした。
メリダから76km、ユカタン半島の中央よりやや西に位置しています。

ここはユカタン半島で最も古い街と言われています。
特徴が、統一された壁の色です。
全て、egg-yolk yellow、「卵の黄身の黄色」一色です。

過去に疫病が大流行した時、宣教師がすべての建物をこの色にした、と言われているそうです。

伝説によると、この街は、B.C.500年頃、Itza王国の聖者ZAMNA(文字を発明し、最古のマヤの制度を作り上げた)により創られたとされています。
「マヤの聖なる街」として栄えました。

スペイン人がユカタン半島に上陸した後、カトリックに改宗させるための布教活動の拠点となりました。


イサマルには、3つ大きなピラミッドがあり、そのひとつがここ、
「Itzamatul」(イッツァマトゥル)です。

昼間ならこの門は開いていたのでしょうか。

22mの高さの巨大な壇となっているそうです。















もう暗くなってきて解り難いですが、こちらが「Kinich-Kak-Moo」(キニチ・カク・モー)。
kinich=太陽(神)、kak=炎、moo=こんごうインコ

高さ35m、長さ207m、幅190mもの巨大なピラミッドです。


Izamal市内は古い街のため道が狭く一方通行が多いのですが、悲しい事に、この日は至る所で道路工事をしており、巡り巡って、やっとピラミッドの側面に出る事ができました。
つまり、とうとう正面入り口には辿り着けなかったのです。

そのため、中に入り、ピラミッドに登る事は叶わず。
時間的にもムリだったのかもしれませんが。




側面はこんな具合になってます的な画像3枚です(涙)。























この妙に味わいのある家は、ピラミッドの側にあった単なる家です(たぶん)。
面白かったので、撮ってしまいました。
何故黄色じゃないんでしょ。




もうひとつのピラミッドの上には、宣教師達の拠点となった、San Antonio de Padua(サン・アントニオ・デ・パドゥア)教会(元フランシスコ修道院)が建っています。
もとは「Pap-Hol-Chac」(王の城)という巨大なピラミッドでした。

広場の向こうに見える黄色の壁(アーチ状のくり抜きあり)が、それに当ります。

まず私達は、バンに乗ったまま裏に回りました。
表側とは違い、裏側は石の灰色がむき出しとなっています。

この元修道院は、ピラミッドの石を用いて創られているのです。

1549年にフランシスコ会士Fray Diego de Landaによって建てられ、1562年に完成。
設計したのはメリダの建築家Fray Juanであり、16世紀の修道院の特徴が多く見られます。
大きな長方形の前庭とそれをぐるりと囲む回廊、回廊の4隅に作られた小さなチャペル、そして、果樹園などです。

広大な前庭は、ヴァチカンのサンピエトロ寺院に次いで大きいそうです。

Fray Diego de Landaは、マヤについて多くの事が書かれた何百枚もの文書(多くは「アマテ」という木の皮で作られた紙のようなもの)を全て燃やしてしまった事で有名です。
彼は後に己の行為に呵責の念を抱き、カトリックに改宗した者達から記録を取り、その後の人生を賭して記述しました。
その研究成果は、現在でも貴重な資料となっています。

上記記述は、英語で書かれた資料より引用したものですが(出典忘れました)、実際は、焚書を行った上、ユカタン人を頻繁に「宗教裁判」にかけたため、スペイン本国へ戻され、裁判にかけられたと言われているとか。
その時、燃やしてしまったマヤの文書を、記憶を掘り起こして主観的に纏めた資料を自己弁護のために書き、その写本の一部が、『ユカタン事物紀』だそうな。

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