心身を癒すにはどこが最適だろうか・・・とずっと考えていましたが、観光客が少なく、ブームでなく、のんびり過ごせる聖域、
上記の条件を私の中で満たしたのが、出羽だった訳です。
本来なら、出羽三山と謂われるように、
羽黒山・月山・湯殿山全てを廻りたかったのですが、
月山は8合目から山頂まで往復5時間の登山となるとの事、
泣く泣く月山は諦めました。
一人旅のため、親にはツアーに参加するよう説得されましたが、
私の目的は自分のペースを取り戻す事と癒し。
レンタカーを使用しないとの条件でOKを貰いました。
出羽三山は山形県鶴岡市を拠点にするといいとの情報を得ていたため、羽黒山のみ手向(とうげ)と呼ばれる宿坊街に宿をとり、
他の2日間を鶴岡のビジネスホテルとしました。
宿坊に泊まりたい気持ちもあったのですが、何分初一人旅、
150年の歴史を誇る旅館、多聞館(たもんかん)に決めました。
上越新幹線・羽越本線の特急いなほ号を利用し、
3時間半かけて鶴岡駅に到着。
駅構内の安い蕎麦屋でラーメンを食べ、約1時間に1本ペースの羽黒山頂行バスに乗り込む。
天気予報では雨の確率が多いので覚悟はしていたが、ポツポツと雨粒が落ち始めました。
小型の乗合バスには私を含め乗客は3人。一組は観光らしい中年夫婦と後は地元の方。
車なら20分の所を30分以上かけて羽黒山麓の宿場町手向(とうげ)へ到着。
雨は本降りとなっており、一緒におりた地元のおばあさんに声を掛けられ、多聞館の場所を教えてもらいました。
思った通りの古い佇まいで、磨かれた暗褐色の廊下が古色床しい雰囲気を醸し出している。
部屋は玄関より左の階段を上がってすぐの8畳間。
全て襖で仕切られており、奥は大広間となっていました。
その区画の宿泊客は私のみ。反対側に夫婦が泊まると、人懐こい女将さんが言っていました。
まだ3時前だったため、宿でビニール傘を借り、歩いて10分程の「いでは文化記念館」へ。出羽三山の歴史・文化を紹介しているが、館内がシックハウスのため、息苦しさと目の痛さに早々に出てしまいました。
雨は本降りの様相を呈していました。
「いでは文化記念館」のそばに参道の入り口に当たる鳥居と隋神門(ずいしんもん)があります。隋神門は以前仁王門と呼ばれていたものが、神仏分離により名を変えたと言われています。
「明日(9月11日)はここを通って2446段の石段を登るのかぁ」と感慨深く眺めました。
そして、旅館まで戻りそこから麓側へ15分程歩いた所にある「正善院黄金(こがね)堂」へ。
「黄金堂」は、源頼朝が平泉の奥州藤原家を討伐するため、勝利を祈願し寄進したと伝えられています。境内には埋蔵金伝説も残っているとの事。
雨の中、訪れる人もなく、ひっそりとしていました。
お賽銭を入れるには、靴を脱ぎ木箱に入れられたスリッパを自分で出して履き上に登らなくてはなりません。
こういう所も素朴。
宿坊街を歩いていて、結局地元の小学生や中学生などにしか出会わず(下校時間だったんですね)、ひっそりとして、とても観光客がいるようには思えない静けさでした。
時期外れというのもあったのでしょう、不思議な気持ちで周りを眺めつつ、4時過ぎには旅館へ戻りました。
多聞館へ戻ると、お風呂がいつでも入れるというので、普段の生活からは考えられない時間にさっさと入りました。
旅館と言っても古い造り、お風呂も人口鉱泉ではありますが、3人が同時に入れる位の広さしかありません。
蓋を自分で外し、出る時にまた戻す、電気もセルフという家庭的な所も宿坊街ならではかと。