日本の民俗・宗教を考える』
―人を神に祀る習俗再考―


                                   
小松 和彦(国際日本文化研究センター教授)
                      
2004.6.19 群馬県立女子大学公開授業

※ 言葉や文章はメモを基に書き直し、解釈等に主観が入っています。

      ※ 誤字脱字は気づいた時点で訂正します。
        また、省略した所も多々あります。













小松和彦(from Wiki)教授は、信州大学、大阪大学を経て現在に至っている。
民族文化人類学、東アジアの比較研究をされている。
『怪異・妖怪伝承データベース』の監修をされており、1800件にものぼる日本の怪異に関するデータを集めている。



日本人の信仰を特徴付けるものは、人間を神として祀ることである。
日本人の「たましい」についての疑問として今回はこのテーマを選んだ。
「たましい」は、誰が管理するのか、また管理する必要があるのか、ないのか。

元々日本文学が好きで、若い頃は中学校か高校の先生になろうと思っていた。
だが、大学に入っていろいろな思想に触れ、考えを変えるに至る。

広い意味での人類学たる人類文化史は、今日に至る200〜300万年の歴史を扱っている。
それは広い地域で暮らす人々の文化の研究である。
文字文化については、学問は大変発達している。
人類学は、それまでやってこなかった事、
未開・非西欧的、原・先住民、異文化の研究である。
自分探しは他社会へ行くと分かると言われた事がある。
異文化が鏡の役割を果たすからである。
フィールドワークの練習としてまず高知県物部村の調査を行った。
主に憑霊信仰の調査である。
これはトレーニングにつもりであった。
そして、昔は日本の植民地であったミクロネシアのトラック諸島(ポンナップ環礁)の調査を行った。

第2次大戦時戦場だったミクロネシアへは、日本の慰霊団が毎年訪れる。
西欧人にとっては不思議なことであるらしい。
高知県の物部村では、土地の人の持つ信仰、要するに「呪い」について調査した。


  
※ この辺は『新編鬼の玉手箱』に触れられていたので詳しくメモを残しませんでした。

「民俗」とは何かと言った時、「言葉の民俗」と「身体の民俗」のふたつに分けられる。
それらは、集団で共有され、しかも自覚していないものである。
自分たちで編み出したり、外から取り入れたりと、
「昔からやってきたから必要なんだ」という認識のもとに行われていることである。
近代西洋の学問との対比で描かれた前近代的なものであり、
こういった伝統的なものは、遅れたものと考えられていた。
柳田国男は、それらをきちっと位置づけ、自分達の文化として体系化しなおした。
つまり、「民俗」とは、生活の根底にあり、見えにくい心にあるもの、「心性」と呼ばれるものである。
それが、「宗教」である。

人は必ず死ぬ存在である。
同時に死を、文化を持ったが故に考える。
死についての様々な想像を駆使して、死を受け入れる方法を考え出した。
即ち、「死=おわり」ではない。
その向こうに「生」があり、「死」は通過点でしかないという考えである。
「あの世」を考え出し、死なない部分、つまり「たましい」を想定した。
宗教とは「死」を乗り越えるための方法として編み出され、「たましい」とは乗り越えるものである。
そして、「昔からこうやって来た、言い伝えてきた、そして伝える」もの、
言葉と身体により受け継がれるものである。
「たましい」や「あの世」は、民俗学では宗教と捉えている。
正月や氏神、先祖を祀る事は、生活の一部となっている。
それを、「民俗宗教」「民間信仰」と言うのである。

次に日本人の霊的なものに対する考え方を紹介したい。
フィールドワークで訪れたミクロネシアのトラック諸島には、厚生省の慰霊団が毎年訪れる。
トラックは、連合軍の上陸は無かったが、近くで日本の船が沢山沈んでいる。
慰霊団は、遺骨の収集を行い、荼毘にふし、僧に供養してもらい、旭日旗に最敬礼する。
あるアメリカ人の医者はそれについてこう感想をもらした。
「気持ちが悪い」と。
まるで、ずーっと海底で兵士が生きていて、出てきたみたいだと言う。
終戦から何十年も経っているのに、何度もどうして訪れるのか、分からない、
キリスト教では天国へ行くが、日本人はずーっと亡くなった場所にいるのか、と。
そこで、「たましい」とは記憶の別形態なのではないかと思った。
法要は、大体一周忌から始まり、33回忌や50年目の法要まで行い、
その後は先祖一般に含まれる事になる。
つまり、個人としての記憶(生身)をもつ人物が、30年から50年するといなくなってしまうからなのではないか。
「たましい」とは、残った人の記憶の中に作られている。

そして、人は時間を乗り越えて記憶を存続させようとする。
語り伝え、生者の負い目として語り伝える場所を残し、次世代へと伝えたいと望む。
その場合に最も有効な手段が、「人」を「神」として、その「たましい」を祀る事である。
多くの神社が、もとは人であったものを神として祀っている。
天満宮や豊国神社(豊臣秀吉)や日光東照宮(徳川家康)など。
その人物を語り継ぎ、神官や氏子などに守り続けさせる。
熊本城内にも、明治になって加藤清正を祀った神社がある。
「人」を「神」として祀る事には、ある特徴がある。
一つは怨霊の祟りを鎮めるためである。
非業の死をを遂げた人物が祟ったと考えられた時、
祟られた人達によって祀られた。
菅原道真の天満宮が有名である。
もう一つは、最高権力者が後世に記憶を残す為のものである。
豊臣秀吉が、初めて自分を神とし、豊国神社を建立した。
徳川家康は、後にその神社を破壊したが、自らを大権現として祀らせた。
これを「顕彰型」と名付けている。
偉人の宗教的施設を象った記念館というべきものである。
明治になって、楠正成(湊川神社)を祀ったり、豊国神社を再建したりした。
上杉謙信などの立派な藩主も祀った。
所謂、神社とは記憶であり、記念である。
これは終戦まで続いた。
東郷平八郎を祀った東郷神社が最後となる。
最近では、神社ではなく、顕彰する人々によって記念館が作られるようになった。
戦前は神社という形をとり、前後は記念館や記念碑となる。
慰霊とは、忘れないこと、即ち忘れてしまう事の裏返しである。
日本人の「たましい」感がそれらに埋め込まれている。
それらが、現代の民俗・信仰・宗教である。

一時期「ジャンボジェットの怪」という話が流行った事がある。
ある若い女の子のグループが、サイパン・グアムに遊びに行った。
そこが戦場跡だと知らず、観光して初めて知る。
その帰り、女の子達がジャンボで帰国する時、
霊感の強い子が、女の子達の後ろに若い兵士の霊が取りついているを見てしまう。
日本に帰りたがっていたのだ。
彼らは未婚だったり若い新婚の夫だったりした訳である。
霊感の強い子はそれを見てぞっとしたという。
だが、この話には、おばさん達の背中には誰もついていなかった、というオチがついている。

知らず知らずの内に若い人達にも、「たましい」が50年経っても帰りたがっているという、
憑霊の考えが刷り込まれている。
それが日本人の死者に対する気持ちである。





いまわたしが抱えている切実な問い ―「たましい」は誰が管理するのか

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