05月29日

すっかり風邪を引き込んでしまい、何も出来ずに数日・・・。
水曜日、体調がと〜ってもおかしかったんです。
体の芯が痛いような力が入らないような。
それなのに、地方の悲しさ、いつ上映が終わってしまうか解らないためムリをして、
『パッション』を見てきてしまいました。
そして、微熱と眩暈と倦怠感。
寝ては食べ、少し勉強してまた寝て・・・の繰り返しで今日に至る。
まだ三半規管が変になってますが、そして、頭もぼーっとしてますが、久しぶりの書き込みです。

イラクでとうとうジャーナリストの被害者が出てしまいました。
まだ身元は確認されていないようですが、橋田信介さんと小川功太郎さん。
しかも、小川さんは襲撃された車から逃げ出した後、拉致されて殺されたらしいとの事。
日本人である事が、危険になってしまったイラク。
車から逃げ出した運転手が周りの人に助けを求めても、「敵」だからと誰も手を貸さず、
炎上する車の横を素通りするイラク人たち。
ここまでイラク人の心の荒廃が進んでしまっているという状況。
何も言葉が浮かびません。
一体、何故こんな事になってしまったのでしょう・・・。

今週の水曜日に『パッション』を見てから、私はずーっと回らない頭で考えていました。
あの映画は一体何を言いたかったのか。
イエスの受難、人類の原罪を贖うための受難、そして復活。
その生々しい映像は、ユイスマンスが『彼方』で描写している
グリューネワルトの『キリストの磔刑図』を思い出させました。
(※ 2004年3月4日の『ひとりごと』参照)
イエスがイエスたるべき理由は、その思想の内容ではなく、数々の奇跡でもなく、その「受難」にある。
それ故にあれだけ生々しく残酷でなければならない。
何となく解る気がする。
そのため、その後の弾圧により数多くの殉教者を出し、
結果的にローマはキリスト教を国教とせざるをえなくなる。
熱心なキリスト教徒の方がこの文章を読まれるとしたら、ひたすら謝るしかないのですが、
どうしても、人の罪を贖い磔となったイエスを礼拝する宗教が、健全なものとは思えない。
被虐的すぎる。
あの時代、腐敗したユダヤ教に対抗していくつもの新宗教が起こり、
ナザレのイエスは、宗教裁判で処刑されたその内のひとりの教祖としか思えない。
一神教の危険性は、絶対神にかこつけた黒をも白にしてしまう強引さなのではないでしょうか。
上手く表現できませんが、「何かがおかしい」という感覚と、歯痒さを覚える。
一神教の呪縛、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教。
それらが争うのは必然なのか。
ちょっと前までは、共産思想という一神教も大きな勢力を持っていましたけど。
話を戻して、『パッション』を制作した目的は、イエスの復活を
キリスト教徒に思い出させようとしているのではないでしょうか。
即ち、「最後の審判」の準備として。

とか考える一方、メル・ギブソンはもっとダイエットした方が良かったのでは、とか、
あそこまでボロボロになれば、アドレナリン出まくりで気持ちよくなっていたんじゃないの、
なんて、醒めた感想だったりする。

ちょっと気持悪くなってきたので、この辺で。


05月22日

どうも頭があまり程よく回転していません。
それなので、『展覧会の絵』の更新をしました。
ラファエル前派のところ、画像が汚かったので、撮り直し、取り込み直し、加工し直し、
で、代わり映えしないが、少しはマシになっているはずです。
前にダウンロードしてきたフリーのレタッチソフト、お利巧さんだが、
切り取り時、細かいドット指定できないので、かなり画像が削られてますが、
言わなければ、気づかないって・・・。
昨日図書館へ行って、「そうだ、画集を借りてくればいいんじゃない?」
と思ったけど、それに命かけているわけでもないので、とりあえず持ち合わせの資料から、
気に入ったものを更新して行ければいいかと思っております。

見る夢も最近は日常に近いようなつじつま合わないような変なものばかりで、
現実を反映しているようです。
一昨日の朝かな、運転できない父の運転(軽自動車なのに左ハンドルのレンタカー)で
道を走っている。
4車線道路を、対向車線の中央分離帯側を走ってしまい、交番で呼び止められる。
交番内がコンビニのレジのようになっており、渡された書類にサインして、
罰金2700円を払う。

だから、妙なところで設定が細かい上にリアル(だがありえない)。
心の中の男性性(=父性)がちょい暴走(というか逆走)。
検閲担当の交番のお巡りさんに引っかかり、罰金を払う。
どうにか暴走を止めてもらったって事でしょうか。
でも、2700円て・・・。
安すぎ。

今巷は小泉さんの訪朝で大騒ぎになっておりますが、
年金問題等々がこれで棚上げになって参院選突入になってしまいそうで危惧してます。

私自身は、と〜っても勉強に身が入らず、
現実逃避の嵐で、己の弱さに危惧しています。

05月21日

『ひとりごと』つぶやいているペースが極端に落ち込んできました。
認定試験、1ヶ月切ってしまったし・・・涙。
まあ昨日はメキシコ在住の兄(カンクーンで日本語ガイドなどやっとります)より電話があり、
明日(というか今日)案内するお客さんを調べて欲しい、といわれ、
ネットにへばりついていたのでした。
ただ、どこどこの関連のお偉いさんらしいというのはわかるが、
名前がローマ字で漢字情報がないので、探すのが大変。
兄の家でもネットが出来ると言っていたが、日本語機能は入っていないし、
上手くダウンロードできないそうで???
本当は電話より、メールの方が安上がりなのだが、上記理由により、
全部ローマ字にしなくちゃならないので、「嫌だ」と言われ、
その上私が調べるはめに・・・。
ヒマじゃないんだけど〜〜〜
来月中旬過ぎにはIPフォンになる予定なので、電話代が安くなるので、まあいいか。

そうです。
とうとうNTTとの長いお付き合いにさよならです。
ただ、切り替えがスムーズに行かない可能性大なので、
ネットが出来ない期間が何日か出来てしまいそう。
でも、ネット固定費がキャッシュバック形式だけど13ヶ月無料になり、
&無線LANパックなので、場所を選ばなくてもOKになり、
大変楽になるのでした。
また一歩文化的な生活に近付くのであった。

今日の午前中は、図書館へ。
認定試験関係の本を漁るが収穫なし。
古本屋へも寄るが同じく。
疲れました。

どうでもいい内容になってます。
勉強の方に脳を使っているので、他にまわらないらしい。

そうそう、小泉さん訪朝時の日テレ同行取材の拒否が取り消しになりましたね。
これにはホッとしました。
ただ、官邸サイドと一般人の世界との乖離が激しいようで、
そんな状態で健全な政治が行えるのかどうなのか。
そして、前にも書いた「国民保護法案」、
与党民主党多数で衆院で承認で決議されてしまいました。
年金法案だってもう時間の問題だし、何かおかしい。
国民ばかりがつけを払わされる時代ってのはどういう事なんでしょ。

パレスティナ自治区のガザでは、未だにイスラエル軍が好き勝手に暴れまわって、
虐殺に走っている。
日本のマスコミはそれ程大きく扱っていません。

無力感にさいなまれる。
それでも、感覚だけは研ぎ澄ましていたいものです。

05月19日

今日はこれから住民投票へ行ってきます。
本当は23日の日曜日が投票日なんですが、家族の都合で今日にしました。
例の市町村合併についてです。
私は、しばらく前まで都民で、その後市民、今は郡民(町民)。
都落ちの様子が手に取るように解るような・・・あはは。
もよりの市(もといた所)との合併希望だけど、
町議会議員は、議席が大幅に減るためもう一つの市との合併を希望しているらしい。
投票率が過半数を超えないと議員によって決められてしまう。
少子高齢化社会に対応するためにも、議員達の思惑通りにはさせたくない。
でももよりの市も、市長さんの独裁長期政権なので内部は腐敗している。
それでも、もう一つの市よりはマシな気がするので・・・。
微妙〜〜〜

ところで、小泉さんの訪朝に同行する取材に関して、日テレが外されたとか。
いくら政府にとって不利な発言をしたからと言って、危険な臭いを感じざるをえない。
どこか奇妙な今日この頃。
日本の行く末に不安を感じます。

05月16日

山折哲雄氏、語る。

昨日、行ってきました。
『日本のことばと文化』という授業の1公開講義という形で、
「話す、語る、沈黙する」というタイトルで行われました。
これって一般公開を兼ねた某女子大の教養課程の授業でもあります。
解ってはいたが、期待しすぎていたようで、欲求不満のまま帰宅。
もっと宗教学者としての山折氏のお話が聞きたかった・・・。

昨日の公開授業で面白かった点をいくつか。

平成7年、阪神大震災やオウム事件のあった年の秋に、念願だったイスラエルへ行っている。
イエスの足跡を辿るべく、生地ナザレから東のガリラヤ湖(伝導始めた地)、
そしてヨルダン川沿いに南下してエルサレムに入る。
約150kmの旅。
延々砂漠、砂漠で、地上にたよるべきものがない土地。
その風土であるが故に、天上の高みに神を置くしかなかった。
1神教が始まる風土的条件であり、それは絶対神で無ければならなかった。
従って、「神」を信ずるか信じないかが問題であり、
「神の言葉=バイブル」を信ずるか信じないかへと移っていった。
帰国した時、日本の風土の豊かさに驚く。
豊かな海、豊かな山、たよるべきものに満ち溢れている。
いたる所から神の気配を感じる。
それが多神教であり、自然の中から何かを感ずる文化である。

と、このように語っておりました。
1神教の生まれた風土を体感してきたからこその発言だと思いました。
頭では想像が出来ても、実際にその土地を踏まない限り、その過程は実感できない。
この圧倒的な環境の違いが、1神教と多神教を分けている、と。
「日本宗教は「感ずる」ことであり、キリスト教などは「信ずる」宗教である」、
という言葉が重く心に響きました。

山折氏は現在京都の国際日本文化研究センターの所長をしており、
京都に住んでいます。
その関係で。

京都に住んでいる関係で、外国人も含めて友人を案内する機会が多い。
その時、必ずお寺の庭をコースに入れている。
日本文化の精髄であるからである。
ある時、ふと人の流れが変わってしまった事に気づいた。
以前は、拝観料を払ってお寺に入るとまず本堂へ。
そして、本尊を、座って拝んだり、又は見上げたりした。
しかし最近では、本堂の本尊の前に留まっていない。
博物館の展示物のように通り過ぎてしまう。
それが、縁側に出た途端、庭に目を向けるため流れが滞る。
老若男女問わず、30分1時間、庭を眺めている。
仏は、今や本堂の中にはいない。
庭即ち自然の彼方、庭の木陰葉隠れに仏の身じろぎを感ずるようになった。
庭と対面する事で、神仏との対話が始まる。
縄文以来、自然の中に神仏を見ていた。
後に仏教が伝来し、8・9Cになって堂の中に閉じ込めたのだ。

日本人のアニミズム的宗教観を端的に表現していると思いました。
自然の中いたる所に息づいていた神を、お堂の中に閉じ込めてしまった、
という言い方がとても衝撃的でしたね。
外来の体系立った宗教による日本的な宗教の締め付け。
自然→お寺。
それが今は仏教的宗教意識が薄らいだせいか、「お寺→自然」という、
本来の神々の息吹の場所を取り戻した。
タイトルの「話す、語る、沈黙する」とは、人間同士だけではなく
神々、即ち人間を超えた存在との対話を意味しています。

私の神社好きの根源てここなんですよね。
神聖な空気のなか、本殿に祭られてはいるが、その空間全体に充満している存在、
いわゆる神々の何かを感じること、それがこの上ない精妙な気持ちを呼び起こす。
静かな心の状態を求めてしまうのです。
それらの正の面は「神々」であり、負の面が「怨霊、妖異、鬼」等の異形のものとなる。
あるものの正と負、それは同じものの別な顔。
だから、「聖なるもの」と「恐れ忌み嫌われるもの」に魅かれる。
翻れば、それらは自分の中の両面でもある気がする。
それらを探る事は、やはり自分探しでもあるのでしょう。

――――――――

サマワでは危険な状態が続いてます。
小泉さん、早く自衛隊員たちを引き上げさせて下さい。
仕事も出来ず、死の恐怖に怯え、彼らが可愛そうです。

05月15日

何でしょ。
今日はいつもより45分早く起きたら時間に余裕が。
というか、いつも8時15分まで寝ているというのも問題がありすぎ。
午後から、前から騒いでいる某女子大にて行われる公開授業があるため、早めに起きてみました。
これ位じゃないと時間なさすぎですね・・・反省。

トラウマになってしまった友人の発言から1週間。
開き直った私は、「今できる事」としてTV局等にメールを送ってます。
今朝も、イスラエル軍がガザ地区に攻撃を加えている事に対する抗議として、
見よう見真似でメールしてみました。
サンプル文があるので助かります。

益岡賢のページ「パレスチナへの攻撃に声を挙げて下さい 」

中東情勢に対してこれだけ懸念しているのは、そこが昔からの火種であり、
これからの世界に多大な影響を及ぼすだろう事が危惧されるからです。
世界中のどこを見ても、貧困と戦乱とが、私たちの知らない所で今も沢山起こり続けています。
人間って、こんな事をするために産まれてきたんじゃないし、
宗教はこんな事のためにあるんじゃない。
だから、この『ひとりごと』だけでも、思った自分を吐き出して行きたい。
ブルーハーツの『少年の詩』が昨夜から頭の中リピートしてます。

  「大人たちに誉められるようなバカにはなりたくない」

いえ、充分いい年しているんですけど・・・汗。


では、これからいつもの勉強をして、山折大先生のお話を聞きに行ってきます。


05月14日

昨日NEWS23で取り上げていましたが、イラクでの虐待事件、
米女性兵士(20歳)のビデオ日記まで存在していたというから驚きです。
もう人間扱いしていないのは明白。
その中で、彼女、棒を振り回して来たからと2名のイラク人を動物のように撃っている。
生きているかどうか知らない(というより興味がないといった雰囲気)と
言っていました。
また、ファルージャの惨劇についても、徐々に詳細が明かされていくことでしょう。
オリンピック出場を勝ち取ったサッカーの競技場が集団墓地となっている様は、
大変皮肉なことです。
筑紫さんは、「ジャーナリストが入って伝えないと実情はわからない」とおっしゃっていました。
今あれ程騒がれた「自己責任論」について、皆さんどう思っているのか問いただしたいです。
もう過ぎ去った事として記憶の彼方へ行ってしまっているのでしょう。
そんな日本の現状は私にとって大変嘆かわしいです。
まだ、何も終わっていません。
サワマでは、自衛隊が期待した以上の働きをしていないため、不信感を募らせています。
オランダ軍も7月15日の期限後まで残るかどうかは解りません。
そうすると、米英軍の管理下となる。
何となく想像がつきますよね。
もちろん自衛隊の方々は懸命に努力しているのは解っています。
悲劇が起こらない事を祈るのみです。

05月13日

ご無沙汰になってしまいました。
忙しいというのもあるけど、何のことはない、
昨日とうとうNTTレンタルモデム付属のLANケーブルが
ぶっちぎれてしまったのです。
やばい、やばい、と思いつつどうにか使っていたのが昨日はとうとう全く接続できず。
気づいたのが夜,そしてアルコールが入っていたため、NTTサポートセンターに問い合わせをし、
今日朝一でビックカメラへ行って購入してきました。
そうです、モデムの保証には含まれず、自腹。
ポイントで購入したためお金はかからなかったけど、他社無線LAN検討中だっただけに悔しい・・・。
という訳で、ネットが出来ず、メールが101通たまってました・・・汗。
これだけ懸賞をやっているのに当たらないのは何故???

で、昨日は、富岡市の「もみじ平総合公園」の先にある「しゃくやく園」へ行ってきました。
一人300円。
5000本の「しゃくやく」が植えられています。
電話で開花状況を聞き、半分は咲いているというので、気分転換も兼ねて目の保養に。
でもうす曇だったため綺麗に画像が撮れてません。
あと、???だけどTV関係という年配の人に、花を見ている様子を撮りたいのでと言われ、
指定された所で花見ている姿を撮られました。
スチールではないのに、固まっていた私。
素人に毛の生えたようなカメラマンがどっかのTV局に投稿でもするって感じなのか???

そして、厄落とし的な意味合いもこめてまた貫前神社へ。
本殿は、改修工事中らしくそこかしこに無粋な工事跡があり、
1時過ぎたら工事のおっさん方がぞろぞろ戻ってきて、
騒がしい音をたてて工事を始めてました。
運良く、お昼休み中だったためゆっくり過ごせたのが良かったですね。

語りたいことはいろいろあるけど、この辺で。

田中宇さんのHPを貼り付けて終わりにします。
イラク虐待写真をめぐる権力闘争

――――――――

やっぱり書きたくなってしまいました。
以前にも書きましたが、今回のイラク虐待事件、
「虐待」という言葉に誤魔化されている。
はっきり、「拷問」と言って欲しい。
そして、ネット配信されたニック・バーグさん。
これは、背後に何があるにしても決して許される事ではない。
人としての一線を確実に越えてしまった。
この異常な事態に破滅的ではない結末はありえないという証拠なのでしょう。


05月10日

残念です。
今日は昨日からの低気圧の影響により雨。
霧雨のように冷たい雨が降り注いでいます。
藤を見て、ついでにその近くの神社をお参りして心機一転と思っていたんですけど。
それなので、行き付けの病院へ。
待ち時間用にと小松和彦著『新編・鬼の玉手箱―外部性の民俗学』を持っていく。
すいていた為、あとがきしか読めませんでした。
雑誌や新聞に掲載した小論をまとめたもの。
例によって、内容を全く忘れているので、これから読み返しです。
前回の『ひとりごと』にも書いた、地元大学の公開授業の来月の回が、
この方の授業です。
この本の解説を山折哲雄氏が書いております。
目次をパラっと見ると、「口裂け女」云々とあり、時代を感じさせます。
「口裂け女」が流行ったのは、思春期の入りかけの頃。
「どこそこで見た」と友人の友人から聞いたなどとの噂が学校内を駆け抜け、
自主的に集団下校(仲良しと一緒に帰るだけだけど)していました。
闇が無くなってしまった時代に、新たな闇として出現ようです。
他にも、「山岳他界観」「熊野の神々」「憑霊文化」「茨木童子」など心騒ぐ文字が・・・。

こちらが小松和彦氏の略歴

何冊か持っているかと探したが、この本しか見つかりませんでした。

&大問題が発生。
この方の公開授業は、なんと試験の前日・・・涙。


05月08日

先ほど、地元大学で開催された無料のシンポジウムより帰りました。
この近辺の古代についての講演と、地元の地域学を立ち上げようとの試みのシンポジウム。
大変興味深い内容で、新たな目で地元を見られるのも一興かと。
来週は、同大学の公開授業で、宗教学者の山折哲雄氏。
待ち遠しい。

こちらが略歴

――――――――――

昨日はある友人と久々に会ったため、書き込みしませんでした。
いろいろと考えさせられる事が多くて、上手く飲み込めないせいか、
胃がもたれています。
小心者の証拠かと・・・涙。
昨日会った友人に、私のサイトの日記を「疲れる」と批評されました。
何でも、口先ばかりで書き立てているというご意見らしい。
自分でも、な〜に一人で勝手にのめり込んで体の具合を悪くしているんだと、
反省しきりなのだが、そうはっきりと言われてしまったのは、凹む〜
口先でなく、NPOでも何でも作って活動しろ、だって。
ごもっともです。
私にはそこまでの気力も行動力もありません。
だから、せめて自分の能力でも出来る精一杯の事を・・・と思って、
懸命に頑張っているつもりだったのだが、やりきれない気分です。
意気地のないやつめ!と思われそうだが、
知人に、私の考えを押し付けているとは思われたくないが、
それを恐れて、自分を押し殺したくもない。

こういう所が日本的?

そんな思いを強く感じていたせいか、また奇妙な夢を見てしまった。

長い夢の途中より。
登場人物は、何でなの?と思うアイドルの男女2人。
彼らが古い2階建てのアパートに引っ越してくる。
格安の家賃だという。
実はその部屋の下の階で女性が自殺したという。
霊感のあるアイドルの女の子が、何度も出現する自殺者の霊に向かって呪文を唱えて退散させる。
だが、呪文の効力が無くなり、二人が寝ている横に、その幽霊も寝ていて、
呪文を唱えても消えない。
二人は、初めは恐れてその幽霊の顔を掌で覆い、押しやろうとするが、
途中であきらめる。
その幽霊の女性は、昨日我が家に回覧板を持ってきた近所の若奥さんに変わり、
「私は魂の弟」と告げる。

そこで目が覚める。
何故アイドル2人が主人公なのかは、全く不明。
男女ということで、対立物を顕していると思う。
そして、幽霊は、下の階(無意識)で自ら殺した女性性。
封じ込めようと、呪文を唱えるが(夢の中では言葉も解っていたけど)、
それではシャドウ(生きて来なかった私の一面)を押さえ込むことが出来なくなり、
顔を覆って直接対決を避ける。
だが、それも無意識の抵抗に屈し、ついに対面。
その正体は近所の若奥さん、まさに私に生きられなかった一面そのもの。
彼女のいう「魂の弟」という言葉が意味深い。
女性なのに弟(男性)だと言う。
そこにも二面性あり。
対立構造が、意識の男女(アイドル)と無意識の男女(女性で表現、両性具有的)とで、
綺麗に配置されている。

要するに、再構築中ということなのね〜

05月06日

何故か母親が、昔何かの講座に行っていた時の教科書として、
上田秋成の『雨月物語』を持っていました。
1話1話が大変短いため、試しに「蛇性の婬」を読んでみました。
細かい文法は置いておいて、元ネタは中国のお話で、
それにプラス道成寺を加えた感じらしいです。
秀麗な男性が、大蛇が変化した美女に付き纏われるというお話。
他にも亡霊となった崇徳上皇と西行法師の問答や、
恋い慕うあまりに美童を病で無くした後食してしまい鬼となった僧の話など、
執念の恐ろしさと哀愁を帯びた9編が納められています。
山田章博氏の絵を頭に描いて読むとより楽しめそうな。

陸自をアフガンに派遣?
あれだけ騒がれていたイラク人質問題もあっと言う間に過去に押しやられてしまっています。
「自己責任」論は、もういいって!?
今は米兵と英兵のイラク人捕虜虐待問題が大きく取り扱われていますね。
だた思ったのは、「虐待」という言葉に誤魔化されはしないか、という事。
私は単純に「拷問」だと感じましたが、如何なものか。
尋問をするために有効な手段だったために組織的に行われていたんでしょ?
9.11を経験したアメリカ人の中には、処分された将校達に対して、
同情を寄せている人も多いようですが、
モスクを攻撃したり、捕虜を非人道的に扱ったりと、
人としての逸脱ぶりには怒りを禁じえません。
こういう問題が表に出た背景が決して良心からだと思えないところも虚しいものがありますが。


05月05日

昨日、アマゾンのマーケットプレイスで購入した資格試験の本が届きました。
あまりの速さにびっくりです。
そのため、これからはちょっと身を入れて試験勉強に励もうと思います。
だから、毎日は更新できないかもしれません。

今回は、リンクしていただいているアゾスさんからの宿題について、
半端ながら書いてみたいと思います。


「竜と蛇の象徴性―試論」

*竜(ドラゴン)の象徴について
一般的には、洞窟で財宝を守るものであり、悪の象徴と考えられているかと思います。
龍というか、ドラゴンですね、昔は爬虫類全般を指していたそうです。
それが今の形になったのは、アッシリア神話に出てくる空飛ぶ大蛇と、
北欧神話に登場する大洋の底で大地を取り巻き自分の尻尾を噛んでいる大蛇ヨルムンガルドとの、
両者のイメージが融合したと考えられると、
あるHP(どこだかチェック忘れました)にありました。
また、世界各地に創生神話のドラゴンの例があるといいます。
このドラゴンは宇宙誕生以前の始原のカオスを象徴しており、
英雄によって退治されることで、カオスから秩序ある世界創生や文化の生成や王権の確立などを
暗示しています。
西洋の竜退治は、悪の象徴を倒すことを意味しています。
カッパドキア出身の聖ゲオルギウスの竜退治は、多くの画家にインスピレーションを与え、
様々なパターンで描かれています。
ゲオルギウスは、旅の途中、湖の竜の生贄にされる王女を救うため竜と闘い、
王女に竜の首に腰帯を投げさせ、急におとなしくなった竜を町へ連れていき、
そこで殺したという。
明らかに、異教徒のキリスト教化の経緯を、竜退治になぞらえてます。
アーサー王も竜退治をしていたのには驚きました。
キリスト教文化圏における竜退治は、異教的な悪を滅ぼすことを象徴しています。
それに比べると、「ニーベルングの指輪」で知られるジークフリードの場合は、少し違うようです。
竜退治に行く事になる経緯も、
ファニールという竜が守る財宝を手に入れようと目論む男に唆されたためであり、
竜の心臓と血により手に入れた能力は、カリバニズムに通じるものを感じました。
つまり、敵を食すことによって、敵の能力を自分のものとするという呪術的なもの。
悪を象徴している竜を退治するという能動的なものは感じられず、
多神教的受動的な側面が伺えます。
スサノオのヤマタノオロチ退治と近いものがあるのはそのせいなのでしょうか。
スサノオの神話自体が日本的でないため、何か他にルーツがあるようにも思えます。
一方、善悪の絶対的な対立のない東洋では、神としてあがめられています。
方位神としての青龍は有名ですね。
また、中国では、竜は王権の象徴ともなっています。
蛇が大地との関係が大きいのに対し、
竜は水(海や湖や川など)や空(雷、嵐など)との関連が強い。
人の力では抑えられない自然の驚異を象徴しているためでしょう。

*蛇の象徴について
蛇については、あまりに根源的すぎて簡単には理解できないものがあります。
もちろん竜に関しても本が何冊も出版される位ですから、とても奥深いものがあります。
蛇は、先にあげた「カオス竜」のように創生神話で活躍しています。
インドでは、乳状だった世界を神々で大蛇を使って掻き回し、世界を作るという神話があります。
オルフェウス教では、世界の始原と終末は卵であり、巨大な蛇が卵を包み込んでいます。
また、キリスト以前の世界では、蛇は大地母神の使いとされています。
旧約聖書のイヴを誘惑した蛇は有名ですね。
この蛇はサタンの化身とされ、やはり悪の象徴という意味が付加されています。
また、創世記では、「最も賢いものは蛇であった」という記述もあります。
イヴを誘惑した罪を犯したため、蛇は神によって地を這う生き物にされてしまいます。
悪(サタン)を象徴する一方、神の使いやメシア、イエスそのものも表しています。
カバラにおける「生命の木」を蛇で表すこともあります。
即ち、「生命の木」に磔にされたイエスは、
「生命の木」に巻きつく蛇とイコールという訳です。
蛇はアスクレピオスの杖やヘルメスの杖に巻き付いています。
メルクリウス、即ち水星を表す記号は、ヘルメスの杖を記号化したものです。
羽を持つ蛇はメルクリウスの男性的側面、
羽を持たない蛇は女性的側面を象徴しているといいます。
この辺になると錬金術の範疇に入るので、まだまだ勉強不足。
蛇神信仰は、世界各地に多く残っています。
日本でも蛇信仰は根強く、エビス信仰と融合して生きながらえています。
「地を這う」ところから、大地母神との関係が深く、
脱皮をするところから、不死と再生の象徴とされています。

今のところ、この位までですね。
竜よりも蛇の方が、その象徴性に根源的・元型的なものがあり、上手く捉えられません。
渦巻きは、一般的に蛇を象徴し、三角形は蛇(竜)のうろこを表す場合もあります。
渦巻きといえば、やはり大地母神、豊穣の女神へと繋がっていきます。
女性原理を顕しているようでありながら、
日本では異類婚譚では美女のもとを訪れる男性(蛇神)。
大国主の奇魂(くしみたま)とされる三輪山の大物主も蛇神です。
かと思うと、道成寺のように嫉妬に取り付かれて大蛇へと変化する女性も描かれています。
始原の蛇から情恋の蛇、不死・再生かと思えば金運を運んでくるとも言われたり、
多岐に亘るその象徴性の多様さには、あらためて感心させられますね。

やはりまとまりないです。
これからの課題といったところ。


05月02日

今日は大変肌寒い一日になっています。
ここ数日暖かかった(暑かった)ため、ちょっと体に響きます。
明日、近場の藤棚を見に行く事になり、天候がこれ以上崩れないよう祈るのみ。

ちょっと前に、投機筋で有名なジョージ・ソロスが、
民主党の関連団体に対して多額の寄付を行ったという記事を読んだ。
ブッシュに独裁者の影を見たため、危機感を抱いたからだという。
何か裏があるのではないかと思っていました。
この辺りについての知識がまったくないため、不信感を抱くのみだったのですが、
田中宇さんの「コーカサス安定化作戦」と題されたマールマガジンで、
アメリカ内で、ネオ・コン中心のタカ派(中東を安定すると言いつつ不安定化を図る)と、
「新中道派(ネオ・セン、ネオ・セントリックス、Neo-centrics)」
(旧ソ連圏を民主化すると言いつつ独裁色の強い政権樹立をもくろむ)とが、
対立構造をなしているとの意見を読み、納得がいきました。
ソロスは、ネオ・センとして活動しており、旧ソ連圏の多くの国に自身の財団事務所を置き、
民主化運動を進め、政権転覆を企て、安定した大きな権力を握る政権を打ち立てようとしている。
日本にいると、旧ソ連圏など全くの他人事になってしまっているが、
密かに成されている大きな動きを知る事はこれから益々重要になってくると思います。
どうする事もできないし、何が正しいかの判断も出来ませんが、
興味があったら田中宇氏のトピックスを読んでみて下さい。

田中宇の国際ニュース解説「コーカサス安定化作戦」

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以下は自分へのメモにも等しい「夢分析」。

昨日の朝(5月1日)、変わった夢を見た。
大筋は不明(殆ど覚えていられなかった)、途中から目覚めまでを鮮烈に覚えている。
知らない場所の広い大地の上に見慣れぬ形状のものがある。
大きさは大工場の煙突くらい。
土台部分が複雑な形をしており(記憶していられなかった)、
真ん中から細長い筒状のものが伸びている。
その筒状のものを取り囲むように、鉄製の円錐状のフレームのようなものがある。
その形は、円錐の上部を水平にきりとった、即ち円形の枠が上部にあり、
それと、土台に接する部分のより大きい円形の枠が、4本の柱のような骨組みで繋がっている。
そして、筒状のものの先端から煙のような帯が出ている。
真横(左)に流れ、そこから下方に向かって反時計周りにらせん状に渦巻いている。
上部の円形枠の高さ位まで。
言葉にするのは大変困難な変な構造体。
私はそれを遠く離れた所、横や上空から眺めている。
と同時に体が上下するような奇妙な感覚になっている。
まるで大型のブランコに乗っているように、ぐーっと上に上がって、ぐーっと下に下がる。
無重力のような、胃がせりあがるような感覚あり。
最後はいつまでも落ち続けているような感覚のまま目覚める。

この構造体の意味は理解を超えているが、ユングのいうマンダラと考えられる。
円形と4本の柱、中心を貫く細い筒状のもの、真上から見ると見事なマンダラになる。
即ち、2重の円とその円をつなぐ4本の柱、円の4分割=世界。
そのバランスを崩しているは、尖端から出ている煙のようなもの。
左側は無意識に近く、下降も無意識(悪)に近い動きである。
また反時計周りの渦も同様である。
方向として、マンダラ=自分から何かが吹き出し、無意識方向へと向かって流れ出している。
全体として、色は白黒に近く、そういう意味では、意識化は出来ていない。
ブランコに乗っているような感覚は、上下左右の感覚がおかしくなっているという事であり、
バランスが取れない状態を表しているように思える。
最後に落下で終わっている点から、やはり無意識へ落ち込んでいっているようだ。

この1週間ほど、鮮烈な記憶に残る夢をよく見るようになっている。
心の中で何かが動き始めている事だけはわかる。
ただ、今回のように無意識の、しかも神話的な悪の概念の方向へと落下している様は、
危険を伴っている気がしてならない。

<付記>
構造体から出ている灰色の煙状のものは、ユング『個性化とマンダラ』で取り上げられている、
「メルクリウス」に相当するのではないか?
メルクリウス=ヘルメス・水銀であり、本の中で述べられているのもは、
帯状にマンダラを囲んでおり、「真の人格」を覆っているという。
また、メルクリウスは、蛇や龍で表現されるという。
らせんを描いているところからも蛇を連想させ、灰色から銀色の水銀を連想させる。

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