02月29日

『サンプロ』の「自衛隊緊急報告とアメリカ」の特集をレポしたいと思います。

まず、木曜日にイラクより帰国したばかりだというフォト・ジャーナリスト
桃井和馬(41才)さんが、その目で見たイラクの現状をレポしてます。
イラクはアメリカ主導のグローバリズムの負の遺産を表しているということで、
イラクを訪れたそうです。
まず、サマワの自衛隊活動をレポすべく宿営地へ向かう。
地元部族の警備として雇われた男達によって、宿営地の入口で車をとめられる。
彼らは、武器は携行しておらず、襲われたら石で戦うなどと言っている。
この様子を見ていた自衛隊員が、やってきて、宿営地の中には入れないと告げる。
2月12日に、サマワで迫撃砲が打ち込まれるという事件が起こり、
アル・ズウェイド族の男性3人が連行される。
アル・ズウェイド族は、湾岸戦争後反フセイン蜂起に参加した部族で、
その後激しい弾圧を受けた貧しい部族であり、この一帯は治安も悪く、
自衛隊も足を踏み入れていないという。
オランダ軍は、ロケット砲等の武器を大量に所有していたとのことで族長を逮捕している。
村のリーダーに話を聞いてみると、自衛隊に対する期待が大きいという。
カーメルという男性は、仕事がなく貧乏なため、足を骨折した息子を病院に連れて行けず、
寝たきりにさせているという。
彼は、「ダサムの時代の方が仕事があり幸せだった。今はわずかな配給品を食料にし、
孤立した村のため給水車も来ず、配給品を売って高い水を購入している。」と告げる。
また、自衛隊は一度も訪れていないが、最後の希望だと語る。
最後に何かあったらためらい無く武器を使い、家族のためにジハードを行う、とも。
イラクでは反米勢力によるテロは毎日のように発生し、
2/10の警察官の職を求めて並ぶイラク人に対するテロ、
2/11には新兵募集のイラク人に対するテロ。
米軍だけでなく、アメリカに協力的と見做されるイラク人に対しもテロが行われるようになる。
ある負傷者は、「アメリカのせいだ」と。
ますます激化する反米勢力の本拠地、ファルージャも訪れる。
車で通り過ぎる時、周りの車両に気を配りながら時速150kmで通り過ぎるという。
桃井さんが訪れた2日前に、アメリカの司令官が襲撃され、
テロクループと同じ種類の車に載っていたため無関係のイラク人が誤射で死亡している。
その家族は、米軍への怒りが占領軍全体へと向けられ、日本であろうがどこであろうが、
協力者は皆敵だと語る。
自衛隊が派遣されるずっと前からバクダッドで民間活動をしているNGOを紹介している。
日本国際ボランティアセンター(JVC)、病院へ抗がん剤を提供しているNGO。
劣化ウラン弾の影響により、発病2年後の死亡率が高いという。
このNGOの人は、自衛隊が来ることで、日本の人道支援活動が偏った見られ方になり、
テロの標的になって活動しにくくなっていると語る。
そして、もし日本の自衛隊が何か起こした時、日本のNGOへの排斥も始まるのでは、
と心中を語っていました。
桃井さんは、この取材で何度も危ない目に会ったそうです。
手榴弾を投げられそうになったり、銃口を向けられたり。
まるでアメリカの西部開拓時代のように、武器が力となっていると言っていました。
また、サマワの住民は、自衛隊が派遣されたことで、短期間でインフラが整い、
生活が楽になると勘違いしているという。
政権移譲が行われたら、更に治安が悪化するだろうと懸念していました。
そして、自衛隊も巻き込まれるだろうと。

とりあえず、桃井和馬さんのイラク取材についてレポしてみました。
まだケイ前イラク調査団長の独占インタビューなど、興味深い取材もしていましたが、
これは明日書けたら載せます。



02月23日

昨夜からの強風、夜中の雨と風のうなりはすごいものがありましたね。
何をそんなに怒っているのかって感じで、
こちらの心も乱れまくりのような。
今、猫が猫クッションの中で暴れてます。

頭が全く働いていない状態ですが、この『ひとりごと』、
私にとってメモ的な役割も果たしているので、
もう何日か経ってしまった『永遠の恋物語』より、
「ロダンとカミーユ・クローデル」。
正直なところ、あまりロダンって興味を持って見ていないので、
有名な「考える人」が「地獄の門」という大作が元になっていることくらいしか知りません。
カミーユに関しては、今調べたら1989年だったのね、に映画化されており、
イザベル・アジャーニだったんだぁ、チェックはしていたが見損ねてます。
イザベル・アジャーニはその美貌と正気と狂気の間を彷徨うかのような演技力から、
好きな女優の一人です。
(その割に彼女の作品それ程見てなかったりして・・・)
しかも、彼女はプロデュース・演出も手がけているそうで。
チェックが甘かった・・・。
彼女の作品では16Cフランスを舞台にした『王妃マルゴ』が印象的でした。
このビデオもどこかへ紛失・・・。
我が家はブラックホールか!!!
話を戻して、「ロダンとカミーユ・クローデル」。
カミーユはフランスの田舎町に生まれ、幼い時より、
彫刻に関して才能を発揮していたといいます。
彼女の要望で一家はパリに転居し、彼女用にとアトリエを借ります。
そしてカミーユが19才の時、運命の男オーギュスト・ロダンと出会う。
ロダンはその時43才。
既に彫刻家としての名声を得ています。
内縁の妻ローズ、幼い子供もいました。
そんなロダンは、彼女の教師として彫刻を教えると同時に、
彼女の完璧な美貌と肉体とに魅かれ、彼女をモデルに多くの作品を作る。
ロダンにとって、カミーユは芸術的伴侶、霊感を与える女神であり、
必要な存在になっていた。
彼女自身もロダンを理想の男性として愛していた。
そして数々の傑作を生み出すことになる。
有名な「地獄の門」もカミーユの創作した部分は多くあるという。
カミーユは、ロダンに、下ずみ時代からロダンを支えた内縁の妻ローズと
自分とどちらを取るかの選択を迫る。
ロダンは、カミーユは戦友であり、ローズは休息の場所だと言う。
カミーユは、自立するために一人でインドの永遠の愛をテーマした「サクンタラー」を
制作する。
だが、ロダンのマネだとされ正等に評価されませんでした。
カミーユの研究家は、共同制作をしているうちに二人の作品が似通ってしまった、
と分析しています。
カミーユは、二人で生活したアトリエを出るが、関係は続いていた。
そして、彼女は妊娠し、子供は生まれる事はなかった。
流産だったのか、堕胎だったのか、定かではないという。
カミーユは、独自の境地を開こうとして一人制作に励む。
だが、狂気は確実に忍び寄っていた。
アイデアを盗まれるという脅迫観念にかられ、
「分別ざかり」という作品を国が買い取るという約束が取り消された時、
ロダンが邪魔したと思い込み、彼を責め、二人の関係は破局する。
一方ロダンは、巨匠としての名声をほしいままにし、新作は作らなくなるが、
今までの作品の複製で富を得、ローズと悠々自適な生活を送る。
カミーユは、徐々に妄想と狂気に犯され、その発作と戦いながら、
最後の大作「ペルセウスとゴルゴネス」を完成させる。
ギリシャ神話の英雄ペルセルスが、奇策を弄して目が合った生き物を石に変えてしまう、
メドューサ(ゴルゴネス)の首を刎ね、左手に高々と掲げる姿を造り上げる。
その絶望に目を見開いたメドューサは、カミーユ自身を顕していたのか。
この彫刻を最後に彼女は、自分の作品を壊したり、夜になると周りを徘徊したり、
身なりも構わず不潔なまま生活するようになる。
今でいうパラノイア、または統合失調症・・・。
弟のポール(詩人、後にカミーユの伝記を出版)は、家族と相談して、
彼女を病院へ強制的に入院させる。
カミーユ、48才、1913年3月10日。
彼女はその後79才で生涯を閉じるが、病院から出ることはなく、
ひとつも作品を作ることはなかったという。
ロダンは、カミーユが病院に収容された4年後、77才で、75才のローズと正式に結婚し、
その一ヶ月後ローズは亡くなり、後を追うようにロダンも同じ年に亡くる。

愛と狂気の天才彫刻家、カミーユ・クローデル。
芸術には、紙一重の感覚が、狂気を孕んで心の闇から溢れ出す想像力が
必要なのでしょうか・・・。

こういう『ひとりごと』を書き続ける私は、一体何を求めているのでしょうか・・・。
たぶん手に入れられない何か、やはり境界にある何かなのでしょうか・・・。


02月19日

昨日職安で失業保険の手続きを済ませ、あと貰える日数が1ヶ月切ってしまった事に
がっくり来ている私です。
何故か、その後職業相談(形式だけ)の窓口担当の人に、
近くのホールで行われるクラリネット演奏会(五重奏)のちらしを貰ってしまった。
その人の紹介なら500円安くチケットが手に入るそうな。
ちょっと嬉しかったのが、私がそういうものに興味ありそうに見えたんだって!
お安く耳の保養できるにこした事はないが、ほぼ無収入だし・・?悩める所。

で、昨日の続き、「海幸山幸」の今度は河合隼雄氏『神話と日本人の心』より。

河合氏は、日本神話の「中空構造」というテーマで分析しています。
それは現代の日本人にも当てはまる、外国人にとっては不可解な心理状況として、
論じてます。
何度も繰り返し現れる三神、だが、活躍するのは二神で一神は何も語られない。
日本の神話では世界の創生は語られず、または中国より借りてきた考えであり、
自然のこのような世界が生成されたとする「自然生成型」に属する。
そこに唐突に三柱の神の名が列挙される(古事記)。
アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒである。
初めに挙げられるアメノミナカヌシは、天の中心という名を持ちながら、
その後神話に何の記述もなされない。
タカミムスヒは、タカギノカミ(高木神)と呼ばれ、
天照大神の後見人的役割を担っている。
天照大神=女性と対比的にタカミムスヒは男性的・言葉の力の象徴として語られる。
一方、カミムスヒは、スサノヲ―オオクニヌシの出雲神話に多く登場する。
河合氏は、タカミムスヒ=天・父性的機能、カミムスヒ=地・母性的機能を担うとする。
その間に、無為のアメノミナカヌシが配置され、トライアッドを構成する。
この無為の中心が、創造の源泉であると考えられる。
第2のトライアッドとして、イザナキ・イザナミ神話を挙げる。
有名なイザナキの黄泉下りで、イザナミの腐った姿(グレートマザーの暗い反面)を
見てしまい、イザナキは追いかけられて地上に出て地下との通路を塞いでしまう。
すなわち、生と死の区別の明瞭化。
その後、イザナキが禊をしている時に誕生したのが次の三神である。
イザナキが左目を洗うと天照大神が生まれ、右目を洗うと月読命(ツクヨミ)が生まれ、
鼻を洗うとスサノヲが生まれる(三貴子の誕生)。
そしてアマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の食国(オスクニ)を、
スサノヲに海原を、それぞれ統治するよう命ずる。
ご存知のようにアマテラスとスサノヲに関しては多く語られているのに対し、
ツクヨミに関する物語は極端に少ない。
第1のトライアッドで、無為の中心アメノミナカヌシは、
父性原理を体現するタカミムスヒ、母性原理を体現するカミムスヒの間に存在する。
第2のトライアッドでも、無為の中心ツクヨミは、
アマテラスという女性、スサノヲという男性の中央に存在する。
そして第3のトライアッドとして登場するのが、海幸山幸神話である。
やっとここまで辿り付いた・・・。
彼らも激しい誕生の仕方をしている。
昨日も記したように、天孫降臨したニニギはコノハナサクヤビメと結婚するが、
彼女は一夜にして身ごもってしまう。
それを疑うニニギに対し、コノハナは火に飛び込み、その中で出産する。
火の盛りに生まれた子を火照命(ヒホデリ、海幸)、次を火須勢理命(ホスセリ)、
三番目に生まれた子を火遠理命(ホヲリ、山幸)と名付ける。
山幸の海底訪問譚を、イザナキ・オオクニヌシの地底訪問譚と対比し、
日本神話の特徴として、同じエピソードが形を変え何度も繰り返されるとする。
少しずつ変化し、新しい意味が付加され、構造が変化していく。
オオクニヌシの場合は異性を獲得するのに大変な試練を受け共に地上に戻るが、
山幸の場合はすんなり結婚するが、女性の領分(ワタツミの宮)に留まる。
そして、海神の力を借りて問題を解決し、兄を従属させるのは昨日記しました。
ここからが山幸の試練となる。
身ごもったトヨタマが出産する時、「見るなの禁」を破って山幸はその姿を見てしまう。
そしてトヨタマが陸と海との境を塞いでしまうのは、
イザナキが、イザナミの禁を破った後、あの世とこの世とが区分された事に対応する。
だが、イザナキの場合と異なり、山幸の場合は、深刻な結末にはなっていない。
その後、トヨタマの妹タマヨリビメが子供を育てるために現れる。
トヨタマは、イザナミの如く激しい怒りを表さず、
去った後も山幸を恨みながらも慕い、タマヨリに歌を託す。
最後、トヨタマと山幸の歌の交換で終わっており、そこが日本的な所である。
このように、海幸(ヒホデリ)山幸(ホヲリ)についての物語は多く語られるが、
中心に存在するホスセリについては全く何も語られていない。
ここに第3のトライアッドが出現し、中心は無為の存在である。
第1・第2に対し、第3は全て男性である点から、母性的意識の強さは変わらないが、
徐々にアマテラスを先祖としながら天皇としては男性を選ぶという
父系への移行が見られる。

日本人の変わり身の早さ、または外国と比べた時の信仰心の不可解さは、
このように、常に無為の中心を置き、その時々に中心を入れ替えるが、
結局は全体と溶け合い調和していきまた無為に戻るという心理構造が、
大きく影響しているという。
軍国主義の時代にはそれが中心に、敗戦後はアメリカ的な要素を中心に、
無為の中心に何を持ってきても、表面的な変化しか起こさない。
いろいろな思想を輸入しても、すぐ日本流なものへと変形されられる。
河合氏は、特に欧米的なものの考えを「中心統合構造」と表現し、
日本的なそれを「中空均衡構造」と名付けている。
両者を上手く並存させる事が、第3の道になると指摘している。

本当はもっと興味深い論を展開していて、日本神話のダイナミズムを、
河合流に解釈しているんですけど、ここではほんの一部を紹介できたのみ。
興味ある方には絶対お勧めの一冊です。
日本人としてのアイデンティティーを探るには最適だと思います。

02月18日

さっきみのさんの番組の(いや〜たまたま)「今日は何の日、ふっふ〜♪」で、
岡本かの子を紹介していました。
何度聞いてもこの方も強烈です・・・。

以下昨日用意しておいた『ひとりごと』を貼り付けます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

サイトさんが今メンテ中ということで、Wordで下書きしてます。
この時間に書き込みしないといろんな事がずれ込んで、
予定を消化できなかったりするもんで。
ヒマそうに見えて、これでも忙しいんです・・・忙しいつもり・・・。

今日は、「海幸山幸」について、河合隼雄氏『神話と日本人の心』、『歴史読本』「神々の古代」より、
引用しつつ紹介してみようかと。

まずあらすじとして、『古事記』をもとに。
『歴史読本』で多田元という方が「海幸山幸神話の神々」と題して考察してます。
@ 火照命(ヒホデリノミコト、海幸)は海の魚類を獲物とし、
  火遠理命(ホヲリノミコト、山幸)は山の獣を獲物とし生活していた。
  ある日山幸が道具を交換しようと海幸に申し出、3回目にして承諾される。
  ところが海幸は兄山幸の釣り針を失くしてしまい、
  自らの剣で千五百本の釣り針を作り贖おうとするが聞き入れられない。
A 山幸が海辺で困っていると、塩椎(シホツチ)神が来て事情を尋ね、
  船を造り綿津見神の宮に辿りつき、井戸の傍の香木の木の上にいると、
  海神の娘が相談に乗ってくれるだろう、と助言する。
B 山幸はその通りにし、香木に登っていると使い女が水を汲みに現れ、
  彼女は井戸に映った山幸の姿に驚き、豊玉毘売(トヨタマビメ)の所に
  連れていく。
  二人は恋に落ち、豊玉毘売の父海神は、
  「このお方は天津日高の御子、虚空津日高(ソラツヒタカ)である」と宣言して、
  迎え入れた。
  2人は結婚して海宮で3年の時を過ごす。
C ある日山幸は、兄の釣り針を探しに来た事を思い出し、ため息をついていた。
  豊玉毘売は心配し事情を聞いて父に相談したところ、
  鯛の口から釣り針を見つけ出す。
  海神は、山幸に渡す時、海幸への渡し方(呪法)と
  水を操る「塩盈玉(シホミチノタマ)」と「塩乾玉(シホヒノタマ)」を渡し、
  「一尋和邇(ヒトヒロワニ)」で地上へと送らせる。
D 海宮から戻った山幸は、海神からの忠告の通りに海幸を苦しめ、
  ついに降参した兄は「昼夜の守護人」となり遣えることを誓う。
E その後、妊娠した豊玉毘売が山幸の元を訪れ、海辺に鵜の羽で産屋を造り、
  そこで出産しようとするが、産屋の完成前に時を迎えてしまう。
  豊玉毘売は出産中は姿を見るなと山幸に伝え、子を産む。
  山幸はその禁を破って姿を覗き見してしまう。
  すると豊玉毘売が「八尋和邇(ヤヒロワニ)」の姿で産んでいる姿を眼にし、
  逃げ出してしまう。
  一方豊玉毘売は、姿を見られたことを恥じて、子を置いて海宮へ帰ってしまい、
  「海坂(ウナサカ)」(海と陸との通路)を塞いでしまう。
  産まれた御子はその経緯から
  「天津日高日子波限建鵜葺不合(アマツヒタカヒコナギサタケウガヤフキアヘズ)命」
  と名付けられた。

あらすじだけでかなりな量になってしまった・・・。
今回は「海幸山幸神話の神々」の考察を紹介して終わりにします。
@は神話学者によってインドネシア地域の説話、「釣針喪失譚」に類似していると、
指摘されている。
漁を生業とする民族により持ち込まれて取り込まれたと考えられている。
海幸山幸の両親は天孫降臨したニニギノミコトと、隼人の国津神である
大山津見(オオヤマツミ)の娘木花佐久夜比売(コノハナサクヤビメ)である。
隼人周辺の説話を吸収し、隼人の服従・奉仕を、CDで記述し、
その力を身につけた由来をBCで語ったと解いている。
また、Aに登場する塩椎神は、降臨したニニギを出迎え、ここに国のあることを伝え、
神武東征では、東方に素晴らしい国があることを教えている。
三代に渡って行き先を指し示しているわけである。
この「海の老人」はギリシャ神話にも登場する、興味深い存在であることは間違いない。
Bは異郷訪問譚で、異郷の支配者の娘と結婚し、その霊力・呪物を継承し、
新たな血筋を受け継ぐ御子を誕生させるものである。
これは、大国主命が須勢理毘売との結婚の許諾を得るために、
根の国の父スサノオに会いに行き、試練を乗り越え、国造りの資格を得るのと、
同じ構造になっている。
Eは禁室型説話と呼ばれるもので、その代表は「夕鶴」。
異類婚姻、子供を産み、それに続いて異類との必然的別離を描くために、
「見るなの禁」が必要となる。
多田元氏は、この話に「隼人」の影を認め、再検討の余地があると結んでいる。

改めてみると、今に伝わる代表的昔話の原型がかなり含まれていることに気付きます。
明日、この説話に関する河合氏の分析が紹介できるか!?
ちょっと違った切り口ありで面白いんですけど・・・。

02月16日

今朝、『とくダネ!』を見ていたら、今年4月からの商品の税込総額表示の件について、
取り上げていました。
これは〜、私としては大変不安に思っているんですけど・・・。
街頭アンケートでは殆どの方達が賛成。
金額がわかりやすいから。
もちろんその気持わかるんですけど、どうしても増税の布石に思えて・・・。
普通に生活していると、どの部分が税かどうかってあんまり自覚ないじゃないですか。
消費税に関しては、ある意味源泉税より税金を払っている感覚ってあったと思うんですよ。
それを内部に隠してしまったら、ものを買うたびに税金を払っているっていう、
そういう自覚が失われてしまって、興味を抱かなくなってしまうのでは、と、危惧してます。
レジのシステムを変更するにしても、商店には大変な負担になるわけだし、
財務省も10%台まで増税することを見込んでいるし。
いくら累積赤字が膨大な借金大国といっても、そのお金の使い道に多くの疑問はあるし、
(いざとなったら意地悪してアメリカ国債売っちゃえば面白いのに)
こうやって国民に無自覚のまま負担を負わせるのって、どうも納得がいかない。

ところで、「2月6日」の『ひとりごと』に取り上げた、
ピエール・クロソウスキー著『バフォメット』、やっと読了しました。
これについては感想を書こうかどうか迷ったんですけど、まあ『ひとりごと』なんで・・・。
一言でいうと、「やっぱり訳わかりません」でした。
とにかく、キリスト教の教義を全く理解していないので、意味不明な点がどーっと。
クリスチャンでも解らなかったと思うけど。
ある、聖堂騎士団(13Cに栄華を極めた)を陥れる発端となった事件を題材に、
本編は、霊のみとなった(訳者は「霊息」という造語で「いき」とルビ)存在たちが
主役となり、物語が展開する。
福音書の中心思想は「最後の審判」による肉体の復活とその後の裁きであり、
復活のためには肉体を離れても霊達は個性を保たねばならない。
だが、拷問のため神を冒涜したり涜神的行為を行っていたと自白させられ火刑に処された
多くの聖堂騎士団の霊達は、「最後の審判」を恐れ、混ざり合おうとする。
聖堂騎士団の首領は、神よりそれらの霊達が混ざり合わず、個性を持続させるよう、
霊達に形を与える役割を担っている。
そして首領は、カルメル会を改革した聖女テレジアの霊と出会う。
首領は、聖堂騎士団を肉欲の罪に陥れるために潜入させら、絞首刑となった少年の体に、
テレジアの霊を吹き込む。
その少年は、内にテレジアの霊を持つ両性具有の存在として復活する。
少年は、自らを「変容の王子」、「バフォメット」と名乗る。
「変容」とは、「最後の審判」に備えて個性を保持しなくてはならないとする教義と対極にある。
即ち、反キリスト教的なもの、アンチ・キリストである。
アンチ・キリストの象徴として、キリスト教の異端として教会の威信を傷つけた、
フリードリヒ2世(神聖ローマ皇帝・両シチリア王)、
またフリードリヒ・ニーチェのイメージをも重ねた、
大食蟻獣(おおありくい)が登場する。
今こうして書きながらも既に混乱してます・・・。
つまり、復活のために個体性を保持しなくてはならないのに、
ここに登場する霊達は、肉体を蔑視し、否定へと向かう。
「個体=自我の本質的基盤」の否定、自我の解体は「神の死」を意味するという。
で、結局この小説が何を言いたいのか・・・よく解りません・・・涙。
根本的にキリスト教的なものと日本人(或いは東洋人)的なものって相容れないと思ってます。
まず出発点からして全く違う。
この本の巻末に「クロソウスキー/ドゥルーズを読む」という浅田彰氏の小論があり、
これはドゥルーズのクロソウスキー論を足がかりに展開しているのだが、
もうドゥルーズの書いてることが意味不明。
日本語に訳す時点で、概念まで正確に翻訳できるはずもなく、
もうテクニカルタームのオンパレードで、そこで引っかかってしまう。
しかも、西洋人って何でこんなに言語に厳密に拘るか〜ってな具合で、
言葉によって物事を際限なく区分して整理して置き換えて、そういう方法で概念化を計る。
ちょっと読んでいて、イライラしてしまいました。
そんなんだから、独善的・排他的・優越的・断罪的になってしまうのでは、
とため息まじりに感じました。
そういう思考形態から科学が発達し、より人にとって便利な世の中になったんでしょうけど、
やはりどこかパランスを欠いた世界になりかねないと。

中途半端なままですが、力尽きました。
これだけ書くのに、脳でアミノ酸を大量消費した気がする・・・。


02月15日

「『サンプロ』中曽根元首相のレポ ―ひとつの意見として掲載―。」

こういうタイトルだと誤解を招くかと思い、ちょっと付け足し。
自民党や官僚が日本の腐敗の大本になっていると私は思っています。
では何故中曽根さんかというと、この方も一国の首相をした方。
そういう責任ある立場にあった人物が何を言っているか、
それは、好き嫌いを別にして知るべきだと思っているからです。
実際、東アジア経済圏は実現しべきだし、靖国神社の裏事情にも興味がある。
そういう意味で私情を挟まず、レポして見ました。
――――――――――――

今日の『サンデープロジェクト』はスタジオは初めてだという中曽根元総理が出演してました。
この方も首相の時代に改革を推し進めていたということで田原さんはいろんな事を聞いています。

まず北朝鮮について。
先日の田中・藪中訪朝で思ったような成果が得られなかったことについては、
北朝鮮は25日の6カ国協議を前にして弱みを見せられないためと。
北は被害者意識の強いいじけた国で手練手管を駆使して外交を行う。
求愛を恫喝でやる国という面白い表現を使っていました。
そして、日本の外交については、ポイントは中国だと。
中国の経済成長は8〜9%、2020年までに日本に追いつく可能性が大きい。
また包括的積極的外交をアジアで展開していて、ASEANの条約にも参加(日本は不参加)。
北朝鮮の6カ国協議でも中心的役割を担っており、積極的柔軟外交を行っている。
そういう点で、日本は大変遅れをとっている。
FTA(自由貿易協定)に関しても政治家の努力が足りない、度胸のある政治家がいない、
と批判していました。
中国との関係はこれから重要になってくるが、そのネックとなっている靖国問題について。
中曽根さんが靖国参拝を正式に行った最初の総理だが、対外的な問題から1度だけで中止している。
だが、小泉さんは、ご存知の通りの状況のため、小泉さんが中国を訪問することもなく、
胡錦涛主席も日本を訪れないという関係になっている。
靖国神社は、もともと戦没者慰霊のための招魂社という全国にあった神社を
明治時代にまとめたもの。
中曽根さんは戦犯の分祀を行おうとしたが、遺族の一人が反対したため出来ず、
今なら反対はないらしいが、やはり靖国神社の神主が動かないという。
宗教法人法で守られているため、神社側の意思が優先されるそうです。
そして、ASEAN、中国、韓国と強力して「東アジア共同体」という1つの経済圏を作るべきだと。
誰が首相の時でしたっけ?円を共通通貨としてアジア圏構想を打ちたてようとしたが、
アメリカの横槍で頓挫したことありましたよね。
これから、発展していくためには、アメリカではなく、アジアに目を向けるべきと言っていました。
そしてイラク問題について。
アメリカを指示すべきであり、自衛隊も派遣すべきと。
田原さんが、デビッド・ケイ氏の行った大量破壊兵器がなかったとの発言について聞くと、
中曽根さんは、昔はあったかもしれないし、
イラクの科学者達もテロの標的になることを恐れて本当のことが言えないでいる状態だと。
実際に大量破壊兵器を製造する能力はあったはずであり、
長いスパンで歴史を見たとき、フセイン政権の崩壊は必然であり、
ブッシュの行動は正しかったと評価されるだろう、と言っていました。
今年6月の暫定政権からイラク人民政府へ政権の移譲については、
6月はムリかもしれないが、国連を表に出して、フランス、ドイツ、ロシアも強力して、
アメリカも一緒にイラクを助けるべきだと。
自衛隊派遣は悪いと思っていなし、世界に対するアピールになると言っていました。
日本は、G8のメンバーの一人として、アメリカとヨーロッパの間に立って調整すべきであり、
アジア代表として仲立ちすべき。
中曽根さんは、昔、ソ連が長距離ロケットを設置しようとした時、
フランスやアメリカを納得させ、撤去させるため働きかけたと言っていました。
「この人」という人を見つけたら兄弟分になり、必要な時にはお互い助け合う。
例えば大韓航空機撃墜事件の時も、ソ連の司令部との応答の内容をアメリカに渡して、
最終的にはソ連に非を認めさせた。
そのように、日本も頼りされ、また頼りにするような関係を結ぶべき。
また、改憲については、中曽根さんは吉田首相時代からの官憲論者、
どの点をどう改憲すべきか答えていました。
まず、前文は全部見直したいとのこと。
日本の歴史文化伝統を尊重し世界の文化に貢献する、また、自主独立の理念をうたうべき。
9条に関しては、1項はそのままで、2項に集団的自衛権の行使を明示させ、
新たに自衛隊の国際貢献について3項を作るべきと。
そして、96条の憲法改正手続きについては、現行の議員3分の2以上で国民投票という所を、
議員3分の1以上で国民投票、3分の2以上なら改憲というように簡素化すべきと。
また、非常事態の措置が全くなく、地方分権・財政権まで盛り込む必要があると言っていました。
小泉さんは、外交、安保などよくやっているが、外交戦略がない、
国家観や大きな理想が欠けている、
また人の使い方が下手なのと人材がいないとの両方が災いしているとも言っていました。

以上、簡単にサンプロ中曽根レポといったところですが、流石に物事の見方に一本筋が通っている、
政治家としては見事な方なのでは、と思いました。
だからと言って、もちろん私の意見はブッシュの戦争は大反対だし、
自衛隊派遣もアメリカへの媚にしか取れません。
改憲に関しても、あまり簡素化するとチェック機能が損なわれるのではないかとの
心配も感じます。
集団的自衛権に関しては、国連を通した活動に限定すべきだし、
やはり戦闘行為に加わって欲しくないというのが本心です。
まだまだ世界は乱れています。
ニュースになっていないだけで、世界中に争いは氾濫している。
それを日本としてどう向き合っていくか、はっきりと意見できるほどの知識も判断力も
何もありませんが、日本という特殊な立場を上手に使った外交政策を展開するよう
期待しています(いつも期待はずれだけど・・・)。
ただ闇雲に反対するのではなく、ちょっと・・・と思うような意見に対しても、
耳を傾ける必要があるかと思い、判断材料として中曽根さんの発言を簡単にレポしてみました。

先ほど昨夜録画した『世界・ふしぎ発見!』を見ました。
ヘルムート・トリブッチの『蜃気楼文明』を元に、フランス・ブルターニュ地方に栄えた
古代の巨石文明について興味深い説を紹介していました。
ブルターニュ半島からイギリス方向の海上に見える蜃気楼、
そこから天上の世界という信仰が生まれ、
蜃気楼を中心として巨石文明が発達したという。
6500年前に既にかなり高度な文明があったという。
そして、その蜃気楼にから生み出された伝説の都。
「イス」という海に沈んだ美しい都がある信じられており、
パリ、つまり「PAR IS」とは「イスに匹敵する町」との意味があるとか。
ロマンですねぇ。
前半では、『ニーベルンゲンの歌』が取り上げられていましたが、
一昨日書いた『幻想文学 ドイツ幻想文学必携』にも紹介されていて、
「読みたい!」と思っていたところだったので、あまりにも符合してしまって驚き。
共時性?


02月14日

昨夜はチャンネル争いに負け、『ブリキの太鼓』は延期となりました。
我が家は夕飯が遅いため、また、リビングにしかビデオがないため、
夕食時はいつも家族の意見に負けています。
そのため『永遠の恋物語』エビータを見るはめに。
エビータといえば、マドンナ主演のミュージカルが話題になりましたね。
最近衛星でやってましたけど、どうしもミュージカルにアレルギーがあるため、
見ていたんですけどもう集中できないこと甚だしい。
なぜ、台詞を歌うか〜!!!また歌うのかよ〜!!!となってしまうんです。
ミュージカル好きの方が読んでましたらごめんなさい。

それでエビータについて。
はっきり言って、どんなに素晴らしい女性でも女を武器にのし上がる女性は、
どうしても好きになれません。
貧しい国民のために尽くそうと、大統領である旦那さんのために尽くそうと、
どこか嫌悪感を抱いてしまいます。
どうしてなんでしょ。
上昇志向と他人に対する操作性に関して嫌悪するのか・・・。
今のところ『永遠の恋物語』の中で取り上げられた人物では、
一番フリーダ・カーロに憧れます。
(参照 : 2004年1月24日の『ひとりごと』)
知的な中に激しい情熱を秘めた女性。
その激しさに己が身を焦がし、灰になってしまおうと、
(その灰を最愛の人が口にするという喜悦)
ただ一人の男性を全身全霊を持って愛し続けるという煉獄のような熱さ。
私に一番欠けている部分でもあり、そうありたいと密かに願う、
ある種理想の姿なのでしょう。

大学生の時代、初めて家族の束縛から逃れ、しがらみが一番少なく、
新たな刺激に多くを得た日々。
この時代がなければ、私は本当につまらない普通の暗い人間で終わっていたと思う。
その後に第一の自分だけで直面する悪夢の時代を迎えるが、
その前の、小さな苦悩はあるが、まだ幼いままでいられた日々、
今やっとその時代まで遡って、その頃の自分に対面する事ができるようになりました。
この時間に回帰するまで何年要したでしょう。
キーワードは「中井英夫」。
何年この名前を自分の中に封印していたか・・・。
不思議なものです。
再生するためには、ある時点まで引き返さないといけない。
そこからまた自分を辿り直し、そうしてやっと先へ進める。

昨夜この『ひとりごと』を読み返してみました。
あまりにも恥ずかしい部分は削除し、いずれきちんと整理したいと思っています。
驚いたのは、書き始めた頃と今との心境の違い。
自分でも全く別人になってしまったかのような驚愕がある。
それと同時に、本来の自分を取り戻しつつある、まるで胎児の安らかさの如き、
平穏な優しい気持に抱擁されている安堵感を覚えています。

と書きつつ、現実に目を向けると、ため息の連続になってしまうのですが・・・涙。

02月13日

今日はかなりいつもより遅いログインになってます。
どうにか午前中に確定申告の還付申告完了。
税務署の相談&受付室には午前中の受付終了とありましたが、
記入してきたことを伝えると、簡単にチェックして受け取ってもらえました。
やれやれです。
その後、買い物に行き、やっぱり貧乏人なのねぇ(涙)、
サッポロから発売されたばかりのドラフトワンを試し飲みのため購入。
ちなみにHPは、
サッポロビール Draft One
このお酒は麦や麦芽を使用していないため、酒税が格段と安い。
例えば、350ml、ビールなら77.7円のところ、
ドラフトワンはエンドウたんぱくを使用しているため24.2円というお安さ。
頭の良い官僚達は、売り上げがいいからと発泡酒増税し、皮算用しているんでしょうけど、
消費が落ち込むに決まってるって!!!
そして消費が缶チューハイへ移行するのを防ぐため、
サッポロが苦心して開発したのがこのお酒。
また増税対象にされたとしても、各社努力していろいろな隙間を狙い開発すると思うので、
いたちごっこも見ものだと、今から楽しみにしています。
酒税を取られた挙句、二重に消費税まで分捕られるので、
我が家はしばらくドラフトワンでいかせて頂きます。
飲み心地?
まあ、安いと思えばそれなりに美味しいと感じるもんで・・・。
基本的にアルコールが入っていればいいんです!

昼間から飲むアルコールはちょっと効きます。
弱くなってしまったのね、と寄せる年波に感慨ひとしお。

昨日、幻想文学会編集局(これが正式名称だったんですね)発行、
『幻想文学 ドイツ幻想文学必携』があるのを思い出し、
また引っ張りだしました。
こういたった本が西早稲田の駄菓子屋さんの2階の薄暗い4畳半で生み出されていたとは、
とても奇妙な感覚を覚えます。
この方達は、薄暗い中嬉々として編集作業に没頭していたのでしょう。
HPを発見しました。
まだ活動されていたんですね。
アトリエOCTA
これも何かの縁なのか、現在発売されている号をもって終刊とのこと。
しかも、私が手にしている号より1000円近く高い・・・。
時代の流れを感じます。

実はむか〜しドイツ語を独学で1ヶ月(この半端さが私らしい)だけ勉強したことがあります。
語学は天敵のように苦手なため、余程の気紛れとしか思えません。
漠然とドイツに留学できればいいなぁ・・・なんて妄想も入っていたりしたんですが。
私の専攻していた分野の研究は、主にドイツで盛んだったためです。
一応何冊か原書持ってますが、もちろん持ってるだけ・・・。
やはり気力と脳力がついていかず、動詞で挫折。
後にはその世界にも挫折しているので、丁度良かったというか、何というか。

小学生の時、何故か世界の名城のカレンダーがありました。
そして気に入ったお城の写真を切り取って部屋に画鋲で貼っていました。
たぶんドイツのものが多かったと思います。
かの有名なノイバインシュタイン城もあったはず。
思えば、その頃から何となくドイツに対して感じるものがあったのか・・・。

昨夜(早朝?)録画した『ブリキの太鼓』もドイツが舞台。
原作者もドイツ人。
この物語、高校の時に挑戦したんですが、2巻目で挫折。
(今回、挫折という字が目立ちます・・・)
いずれはきちんと読みたい作品です。
ちなみに今日の夕食時にでも鑑賞しようかと・・・。

どうも今日はほろ酔いで支離滅裂になってます。
テーマとしてはドイツ幻想文学にしたかったのですが、脱線の連続・・・。
もっと持っているかと思いきや、あまり蔵書にありませんでした。
やはりドイツは敗戦国、国内にドイツに対する複雑な思いがあるのか、
注目度が圧倒的に低かったのでしょうね。
特別集めたわけでもないのに、フランスものの方が多いのは何故?
特に好きだったのはノヴァーリスの『青い花』。
もうすっかりストーリー忘れてます〜
ただ綺麗なお話だったということと未完だということしか覚えていません。
ホフマンは『黄金の壷』と『ブランビラ姫』(読んだかどうか記憶なし)。
そして種村季弘氏編『ドイツ怪談集』(河出文庫)。
有名どころの作家16作品収録されているので、かなりお得かと。
それにしても、私の長期記憶力のなさには幻滅です。
もちろん超短期記憶でさえ危ういのですが。
読み返さなくてはならない本がごろごろごろごろ。
初めて読む本のように読めるので、それはそれで経済的な気もするのですが、
やはり虚しすぎる・・・。


02月12日

昨日は吉野家の牛丼の話題で盛り上がっていたようですが、
残念ながら吉野家は未体験です。
東京にいた時、近所にあったのは松屋。
あと池袋の松屋にも夜中に入って友人と話をしていたこともありました。
そういえば、学生の時、神保町の、名前は忘れたが、すずらん通りかな、に牛丼屋があり、
たまたまお昼だったので、何となく入ったことがある。
中にはサラリーマンらしきスーツ姿数名、学生かフリーターらしき数名、
そんな中私はかまわずずかずかと店に入りカウンターに腰を下ろした。
不思議〜な空気が満ちてましたね。
何というか、孤独を味わう男達の憩いの場に土足で踏み込んでしまったような空気。
どうも場違いだったかな?と思いつつ、気にせず完食して店を出ました。
雰囲気からして、私より周りの男性方の方が異質さに緊張していたようで、
今でも、もしかして悪いことしてしまったかな・・・と思ってしまうと同時に、
ちょっと微笑ましい気分にもなったりする。
それにしても、駆け込みで牛丼を食べようとする方達、その中にBSE牛の肉が、
混ざってるかもとは心配してないみたいですね。
昨日Nステーションで言っていた。
アメリカでは「へたり牛」は検査するが、他は検査せず、
そしてBSEと判明した牛は「へたり牛」ではなかったと・・・。
BSEの影響が出る頃は、おエラ方は痴呆かBSEか解らない状態になっていることでしょう。
だから関係ないって?

昨日書いた中井英夫氏の作品、まずは原点からと思い『幻想博物館』から読み始めました。
三島のようなことはなく、すらすらと読めます。
改めてこの方の感性がどれだけ私に影響を与えたか、実感。

今ブッシュさんの経歴詐称(?)疑惑で盛り上がってますね。
戦争から逃げた人が、戦地に若者を送り出しちゃいけんませんよね。
ちょっと面白くなってきました。

今日はこれから確定申告の準備。
明日には提出できるかな?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ところで、昨日の『スーパーモーニング』の鳥越俊太郎さんのイラクレポ、
思い出しながら記したいと思います。

鳥越さん、もう63才なんですよね、それでも「現場を見ないとものの言えない不器用な人間」と、
自らおっしゃって先月末から9日間イラクへ取材に行っています。

まずシリアから陸路でバクダッドを目指すが、国境からイラク側はかなり危険らしい。
3台ほどまとまって車で走っていたら、後ろについていたアルジャジーラの車が見えなくなり、
盗賊に襲われていたとのこと。
走っている間も追い越そうとする車にドキっとし、米軍の車両がそばを走ると、
狙われるのではとの恐怖を感じると言ってました。
そしてバクダッドに到着。
通信、軍事、政府関係の建物は、アメリカの爆撃を受け、激しく破壊され、
アメリカの軍事力のすごさを見せ付けてるかのようにそのままになっている。
米軍の攻撃ではなく、戦後の略奪にあったスパーマーケットの跡地も訪れていて、
略奪後イラク人により爆破され、ひどい有様になってました。
経営者がフセイン寄りかなんかだったのでしょうか。
その一方、街には品物があふれ、市場にも多くの野菜などが山積みになっている。
イラクの一般市民は大半は平穏に暮らしているとのこと。
鳥越さんは、イラクはメソポタミア文明の起こった地であり、
もともと豊かな国だということを実感したと言ってました。
だが、米軍のチェックポイント(検問所)はいたる所に設けられ、
多い時には5分に一度、また迂回させられる場合もあったという。
米軍以外ハイウエイは使用させず、重要施設やホテルなど、厳しくチェックされ、
ホテルにも簡単に入れないとぼやいていました。
平和に暮らす人々がいる一方で「テロ」は毎日発生しており、
イラク人もなれたもので、鳥越さんが音に驚いても「あれはボムだ」と動揺すらしていない。
イラクにいると米兵の傍にいる時の方が怖いと言っていました。
鳥越さんはサマワも訪れています。
日本が以前に建てたという総合病院、医師にインタビューすると、
薬がなく、取り寄せても時間がかかり、医療機器も壊れていて使えないと訴える。
またトイレの状態が悪いとも。
鳥越さんが驚いたのはその臭いだと言っていました。
くみとり便所の100倍の悪臭だったと。
ほこりも積もり、汚れもひどく、劣悪な環境だったようです。
やはり、失業率が高いので、日本に対する期待が大きいと言っていました。
そして、医療整備とメンテナンス能力を身につけさせるべきと。
その後、フセインが拘束された場所を訪れます。
ティクリットを通り抜けていくが、誰が村人で誰がゲリラかまるでわからないと。
そしてフセインが生まれたボウジャ村、イラク民兵にボディチェックされ中へ。
フセインが隠れていた穴は数十名の米兵が厳重に警戒していた。
なんと、鳥越さんが日本メディアとしては初めての取材とのこと。
狭い穴の中に入って、空気穴や電気のケーブルが来ていることをチェックしてました。
次に一般人の受けた誤爆について。
フセインの隠れ家だったところをいきなり爆撃され、住民は全く知らなかったのに、
4件が全壊、12人死亡している。
また、クラスター爆弾により負傷した男性、両目・片手・足の指を失う。
クラスター爆弾によって1000万人以上が被害を受けているそうです。
ある少年は、外でサッカーをしていて、明らかに軍事施設ではない小学校に、
クラスター爆弾が落とされ、その被害に会い、失明し、歩くことも不可能になり、
48個の破片が体内に入り、38個を手術で取り除いたという。
頭にも難しい部分なため破片がのこったままになっており、
触ると破片が解る状態になっていた。
この少年は裕福だったためサウジで手術を受けることが出来たため、またマシだという。
あるイラク人は、フセインは誰でも処刑し制限厳しかったが治安は安定していた、
アメリカが来てから治安が悪化し、今よりフセインの時代の方が良かった、
今は第2のサダムがいる、と。
あるラジオ局の女性向けの人気番組がアメリカの圧力で放送禁止になったということも取材している。
また、今は身代金目的の誘拐事件が多発しているという。
学校帰りの子供が誘拐され、日本円で数十万円要求される。
鳥越さんが、『アンダーオキュペイション(占領下)』という新聞を発行している女性を訪れた時、
17歳の甥が誘拐されたと嘆いていた。
この女性は、「イラクは中から変わらないとダメ、イラクはアメリカに誘拐されたのと同じ」だと。
そして、「サダムは自分達の手で倒すべきであり、それさえアメリカに奪われた」と言っていました。
彼女の甥は後で戻ってきたとメールで連絡があったそうです。
そして、鳥越さんは問題点を3点あげています。
・米軍とその協力者へのテロ
・部族間の主導権争い
・治安の悪化
自衛隊は米軍の協力者としてイラク入りするので危険。
また部族間の争いに巻き込まれる可能性もある。
確かに一部の部族長に贈り物をして問題になってましたね。
ロードマップに従って今年の6月で引き上げることになったら、
内部抗争の激化が心配されると言っていました。

簡単なメモ程度のレポなので上手く内容を伝えられたか、ちょっと不安。
誤字脱字は見逃して下さい・・・。
昨夜はNEWS23にも鳥越さん出演されて、簡単なイラクレポしてました。


02月11日

中井英夫氏が亡くなってから10年とちょっと。
あれから私は何をしてきたのかと、ふと自分を振り返る。

中井氏を知ったのは全くの偶然だった。
ぶらっと立ち寄ったアパート近くの小さな商店街にある小さな本屋。
何か面白そうな本はないかと物色中、目に不思議な文字が飛び込んで来た。
『幻想博物館』。
講談社の文庫。
作者の名前を見て、誰だろうと思った。
建石修志氏の美しい装丁、澁澤龍彦氏が解説を書いている。
そして、その場で購入、すぐに読み始め、中井氏の幻想的な迷路に迷い込むことになる。

今朝『別冊幻想文学 中井英夫スペシャル』を見たくなり、引っ張り出す。
もしかして好きな作家でここまで書籍を購入したのは、中井氏が最初で最後かもしれない。
貧乏学生にとって、豪華装丁本の購入はかなり決心のいる行動だった。

『幻想博物館』
『悪夢の骨牌』
『人外境通信』
『真珠母の匣』
『虚無への供物』
『人形たちの夜』
『月蝕領宣言』
『夜翔ぶ女』
『名なしの森』
『夕映少年』
『流薔園変幻』
『続・黒鳥館戦後日記』
『月蝕領崩壊』
『LE BATTEE』
『月蝕領映画館』
『中井英夫詩集』
そして本に収録されていない小編を図書館で探し出してはコピーして自分で製本した、
自作の『中井英夫作品集』
「あら(字が変換できない)皮」「黒鳥譚」「青髯公の城」

その後『中井英夫作品集』全10巻が発行されるが、
流石に内容のがぶる本を買う程の余裕はなかった。
そして徐々に彼の存在は私の中から薄れていくことなる。

あの頃から随分と時が過ぎてしまった。
今読んでもあの頃の感覚を取り戻すことが出来るだろうか。
以前三島由紀夫氏の『春の雪』を読み返そうとして、数十ページで挫折した経験があるため、
もしかして今の私は中井氏を受け入れられないのではとの不安から、
まだ手に取ることを躊躇している。

――――――――――――

昼食を食べながらTVを見ていたら、NHKで『夢の美術館』の再放送をしていて、
タイトルが「印象派の時代100選」だったので興味を抱いていなかったら、
結構私の好きそうなあたり、紹介してましたね。
『死の島』(ラフマニノフの曲は聴いたことないですねぇ)、
ワッツの『希望』、クノップフの『愛撫』、
そしてなんと三輪明宏の好きな一枚は私のHPでも紹介しているモローの『出現』でした。
これは今、もう一枚のモローの作品と合成して私のPCの壁紙になってます。

02月10日

私は、20歳になったちょうどその春休みに友人3人とインドへ1ヶ月程旅行したことがある。
専攻していた学部の関係上、インドとは縁が深かったわけだが、
どちらかというと仏教の盛んだったガンジス川流域の方がメジャーだったのを、
私達はあえて南インドに重点を置いた日程を組んだ。
よくありがちな『インドの歩き方』片手の自由旅行。
ホテルはその場で決め、列車の切符も身振り手振り。
皆英語は得意ではなかった上に、インド人の英語は訛がすごく、聞き取るのは尋常ではなかった。
何と言っても、rを全て発音する。
例えば、governmentなら「ガヴァルメント」、こんな具合なので苦労はしたが、
行ってしまえばそれなりにコミュニケーションは取れるもので、
慣れてしまうと不自由するほどではなくなった。
あととまどったのが、インド人のyesのゼスチャー、
日本人なら頷くところ、首を微妙にグリンと横に振るのである。
初めは「は〜?」って感じだったが、これもじき慣れた。
ニューデリーから入って、デカン高原を2泊3日、延々列車の3等席で、
硬い板の椅子に横になり、大きいリュックを枕に眠った。
私達の柔な体は、それだけで腰周りに青あざが出来た。
窓を開けておくと、汽車の排煙でたちまち顔は真っ黒になり、トイレは巨大ゴキブリの巣窟。
今ならとても耐えられない環境での旅となった。
途中マドラスやマドゥライなどを経由して、
コモリン岬、すなわちインド洋とアラビア海が交わるその尖端へ。
アラビア海を見渡して、その先に広がる世界を夢想した。
南へ行くほど、素朴な人たちが多く、親切だった。
今資料を持ち合わせていないので忘れてしまったが、その南端の土地の、
全然知られていない小さな寺院を訪れた。
そこの僧侶はヒンドゥー教徒ではない私達を親切に誘導し、奥の拝殿まで案内してくれた。
そして日本でいう祠の周りをグルッと一回り、記念にと小さな花を一輪づづ渡された。
時間はゆっくり流れていた。
しばし滞在した後ケララ州へ。
もうアラビア海沿岸の地方である。
運河をクルージングしたり、カタカリダンスを見たり、海岸に近いロッジで数日過ごしたりした。
やはり元はイギリスの植民地、イギリス人観光客が多かった。
砂浜ではビーター・ガブリエル(今はゲイブリエル?)などの洋楽が流れ、
時たま怪しげなインド人がゼスチャー交じりに「スモーク?」とやってくる。
つまり、はっぱの売人。
もちろんノーサンキュ。
友人の一人は砂浜で甲羅干ししすぎて熱を出す騒ぎ。
そしてボンベイを経由し、大幅に予定が狂ったためアジャンタやエローラを諦め、
アグラへ行き、タージ・マハールを訪れる。
大抵の有名な建物などは、実物より写真や映像の方が美しかったりするものだが、
この建物は、生で見ないとあの美しさは伝えられない。
それ程、荘厳で壮麗な建造物だった。
アグラは観光地のため、リキシャーの運転手から売店の人など、
かなりふっかけて来るので面倒だった。
それでも入ったちょっと高級そうなレストランでは、厨房に案内されタンドール釜を見せてもらったり、
ちょうどお祭りがあたったため、様々な塗料を体に掛け合う群集を安ホテルの屋上から眺めたり
(ホテルの人に外出しない方がいいと教えてもらった)、
楽しい経験も沢山できた。
最後ニューデリーに戻って数泊して、日本へ。

実家に戻ってからどっと疲れが出て、トイレに入ると立ち上がれない程衰弱していた。
体重もその後一気に3キロ減少。
楽しくはあったが、暫くは行きたくないという思いが強かった。
よくインドへ行くと人生観が変わると言われている。
私たちは変わったのか・・・。
私に関して言えば、人生の過酷さに愕然とした思いでいた。
ハリジャン=神の子と言われる子供の物乞い達に囲まれた時の恐怖、
人々で溢れ無秩序とも思えるバザール、
油断をしていると高額で売りつけられる様々なものやリキシャー代・・・。
特にショックだったのは、どこの寺院だっただろう・・・
寺院の外の壁の傍で、全身を包帯に覆われ横たわった人物(性別さえわからない)、
その人は物悲しい声で歌っていた。
祈りの歌だったのだと思う。
友人の一人が「ライ病だ」とつぶやいた。
その時感じたもの、それが諸行無常ってことなのだろうか、と思った。

今思い返してみると、あの時抱いていた夢や希望やいろいろなもの、
そういうものから随分遠くに来てしまった気がしてならない。
その時の資料はもう一つの家にある。
アルバムと旅行をまとめたノート。
読み返したら、どういうものが見えてくるのだろう。
過去の私は何を語りかけてくるのか・・・。
やっと私は昔の私と対話する準備が出来たらしい。

――――――――

言葉というのは難しい。
誤解を招きかねない言葉はその場で補足しないと思わぬ方向へ行ってしまうことがあります。
補足として「ライ病」について。
あの頃は、名前は知っていたが、まるきりどういう症状が出るとか、
どういう経路で感染するとかの知識はありませんでした。
最近ハンセン病に関する問題で、この病気に対する意識が全く変わりました。
その一方で、普通に生活している人々から隔離し続けた政府の対応に対して憤りを感じています。
現在、特効薬もあり、それ程怖い病気ではなくなってはいるが、
当時のインド、寺院の外で泣くように歌っていた人物は、
たぶん薬を買う余裕もなく、病に体を蝕まれるに任せるしかなかったのだと思う。
そういう状態に対する感情であって、決してハンセン病の誤った認識に対する感情ではないことを、
ここに補足させていただきます。

02月09日

まだまだ先行きに関する悩みが解消せず、深く考えると胃が痛くなる日々。
忘れてると痛みも引いているんですけど。
もうこの年になると、いくつかのタイムリミットに近づくため、
そういうものも含め、どうしたらいいか、決められずにいる。
妥協か茨の道を選ぶか・・・。
それとも自分を変えて、妥協を妥協と思わないように仕向けていくか。
これが一番私も周りにとってもベストだが、「自分を変える」ことが何しろ一番難しい。
昨日友人と電話で会話していて、その辺りを厳しくつっこまれてしまいました。
彼女は、妥協しない方がいい、って。
しかし、先の事を考えるとどうしたらいいのか・・・。

そういう時は、日夏耿之介の詩集を取り出す。
この方のゴシック・ロマン風というんですか、幻惑を覚える美句(異句)を眺めていると、
一時全ての煩わしさから開放される。

飢渇(うえ)と騒擾(どよもし)と物欲とからえ免れし身

高大な寂黙の世界(よ)の黎明方(よあけかた)

日を孕みて蕩揺(とうよう)する海辺

本当はきちんと紹介したいところですが、著作権の関係もあるかと一部抜粋のみ。
私の語彙ではとても表現しえません。

この苦痛の先に何かの獲得が待っているなら、いくらでも耐えましょう。
泥くさいからこそ人であり、のたうつ事も人にしか与えられていない特権なのだから。

02月08日

大変疲れてます。
何故かって、それは昨日のNHKスペシャル『ドキュメント エルサレム』を今録画で見たため。
前編よりも具体的な今までの動き、イスラエルが突き進みつつある姿を映してました。
アメリカ軍需産業などと結びついているJINSAというアメリカのユダヤ系シンクタンク。
こことリクードが手を結び、軍事交流を進め、格好の実験場であるイスラエルで武器を試しているという。
利権と宗教の結びつき、これ程強力なものってない気が・・・。
国連を介入させたり、アメリカ介入による三者会談を行ったり、
イスラエルとパレスティナの和平合意への取り組みは何度もされています。
2000年のキャンプ・デービッド会談、イスラエルが歩み寄りの姿勢を示すが、
エルサレムの神殿の丘の統治を巡って対立してしまう。
その後に、まだ野党だったリクードの党首シャロンが多くの武装した護衛とともに、
エルサレムのイスラム教の聖地に踏み込む。
反発したパレスティナ人とユダヤ人との間で激しい衝突が起こり、各地に飛び火し、
中東和平への道を閉ざしてしまう。
シャロンはもともと軍人で中東戦争で成果を上げた人物。
厳格なシオニストの家に育ち、幼い頃より力によるイスラエル統治を目指してきた。
退役後国防相となり、アラファト率いるPLOを壊滅させるためレバノン侵攻、
ベイルートを廃墟と化してしまう(1982)。
そしてシャロンは難民虐殺の罪で国防相を辞任、
住宅相の時代にはパレスティナ自治区に多くのユダヤ人入植地を造り、
パレスティナ分断政策に乗り出す。
2001年、イスラエルの首相に就任。
一方アメリカではブッシュが総理大臣となる。
ブッシュの地元である南部中心に大きな勢力を持つキリスト教原理主義の福音派は、
5千万人以上の信者を抱えている。
ブッシュは彼らの支持基盤を取り込み、
ネオコンと呼ばれる武力による外交を主張する派閥を重用する。
福音派は、イスラエル問題に対して冷たい目で見ているヨーロッパのキリスト教徒とは違い、
毎年イスラエルを訪れデモを行い、イスラエル支持を訴える一派。
そこで、リクード・ネオコン・福音派という硬い結びつきにブッシュ政権は取り込まれることになる。
そして記憶にも新しい9.11。
イスラエルでは強硬派の観光相の暗殺。
シャロンはよりパレスティナの排除を強め、あのラマナでのアラファト監禁となるわけです。
アラファトさんは今でも行動の自由を奪われた状態だといいます。
2003年、ブッシュが中東和平三者会談を行うが具体的解決策提示できず、
イスラエルの武力VSパレスティナ人の自爆テロという構図は解消されずにいる。
そして、2月3日にも書いたように、今イスラエルはヨルダン川西岸地区に
パレスティナ居住区を分断するため8mの壁を築いている。
これにより68万人のパレスティナ人が影響を受けるといわれている。
ユダヤ人とパレスティナ人は対等に共存すべきと訴えるユダヤ人、メロン・ベンベニスティは、
ユダヤ教右派の動きを心配していると言う。
彼らが、イスラム教寺院を壊し、神殿の丘にユダヤ教の神殿を立てようとしていると。
福音派はそれを支持している。
なぜなら、それが実現すればキリストが再臨すると信じられているからである。
これはどう考えても、大惨事を免れない。

考えすぎかもしれないけど、思わず聖書を引っ張り出して、
『ヨハネの黙示録』を流し読み。
何かで聞いたか読んだか、キリスト教原理主義とユダヤ人は、
エルサレムの神殿の丘に新しいユダヤ教の神殿を築く時、最終戦争が起こると信じている、と。
バビロンのあるイラクを攻撃したのもその一環ではないかという説。
原理主義者は、本当に最終戦争とその後の「最後の審判」、復活を信じている。
冷戦終結後の最大の火種となったイスラエル問題を解決しないかぎり、
危ない人たちの危ない劇場となり、世界に及ぼす影響は計り知れない。

そうでなくても心が乱れているところにもって来てこの放送。
胸が苦しくなりました。
どれだけの人がこの問題に関心を抱き、危機感を持っているのか。
このままだと日本も巻き込まれること必定。
日本人だからというのではなく、平和を祈る人間として
こういった問題を見つめ続けなければいけない、
と改めて考えさせられました。
何か出来ること・・・。
今のところは、大して多くの人には読んでもらえないこの『ひとりごと』で
書き続けるのが精一杯かも。

02月07日

昨日のNステーションでやっていたアメリカ人のBSE問題について。
ぜ〜んぜん、気にしてないみたいですね。
それなのに、日本でBSE牛が見つかると輸入停止してるし、
鳥インフルエンザの関係で鶏の輸入を禁止している。
はっきり一言「わがまま」以外の何者でもないっちゅーの!!!

鳥インフルエンザに関しては、タイで豚からもウイルスが検出されたというのが恐ろしい。
もともとインフルエンザって、鴨と豚の間で行き来しているうちに変化して、
人間に感染するようになったという。
ということは・・・。
これ以上不安材料を増やして欲しくないです。

やっぱり強烈だった昨日の『永遠の恋物語』「阿部定」。
彼女の生い立ちを見ていると、厳格な職人の父親、ミエっぱりの母親、
本当の愛を知らずに成長したことが解ります。
また幼い時に大学生に処女を奪われ、不良となり、厄介払いとして遠縁の叔父に預けられる。
ここでまず父親から見捨てられるという心の傷を受ける。
更に、その叔父に芸者宿に売られてしまい、その後最愛の人石田吉蔵と出会うまで転々とする。
愛を知らず、快楽のみが彼女を生かし続けていたのでしょう。
そこで吉蔵と出会い、「愛する」ことを知り、独占欲のために殺害してしまう。
二人の関係を見ていても、定が、
低レベルの肉欲の対象としてのアニムス像に取り憑かれそれを吉蔵に転化し、
また真実の母の愛を知らなかったが故に、二人の間で母子に近い関係が生じ、
いわゆる「呑み込む母」になってしまったのが解る。
「ちくま哲学の森」というシリーズに『恋の歌』という本がある(これは母の蔵書)。
恋に関する詩や小説が掲載されているのだが、
その中に「予審調書―第5回尋問 阿部定」が収録されている。
全く悪びれた風もなく、ありのままを子供のように話す定。
その幼さと純粋さと子供故の残酷さ。
飴を欲しがるように吉蔵を求め、嫉妬に身を焼き、究極の手段で彼を独占してしまった女性。
フランスで友人を食してしまった佐川一政のことを思い出した人も少なくなかったのではないかと思う。

今佐川くんの記事を扱っているHPを見て気持ち悪くなってしまった・・・。
これも究極・・・。

――――――――――

お昼を食べながら、「ロード・オブ・ザ・リング」の特番を見ていたけど、
やはり早く見たい〜
金銭的に余裕が出来てからDVDを買おうと思っているので、
今晩は日本代表マレーシア戦を泣く泣く諦めて、
「ロード・オブ〜」(字幕ならいいのに)だね。
何と言ってもスケールと迫力と映像の美しさがすごい。
そのうち原作も読み返しましょう。
NHKスペシャル、またビデオかね。
「彼女が死んじゃった」もまた見られない〜

02月06日

夢野久作『瓶詰の地獄』、読み返してみました。
文庫10ページしかない小品。
海より漂着した3個のビール瓶に詰められた紙切れに書かれた手紙の内容が物語る形式で、
その巧みな技法には改めてため息がでます。
私が持っているのは、社会思想社の教養文庫『死後の恋』に収録されているものなんですが、
表紙の絵がちょっとエロティックで恥ずかしいです。

話は変わって、昨日何となくタロットの大アルカナの説明をしているHPを覗いていたんですが、
その中の「悪魔」のカードの説明で、カードに描かれた悪魔を「バフォメット」と表現していて、
そういえばと思い、やはり途中で挫折していた
クロソウスキーの『バフォメット』という小説を引っ張り出しました。
まだプロローグの部分しか読んでません。
前回はそのプロローグすら読みきることが出来ず、放り出していました。
歴史的背景や宗教的な背景等々どうしても入り込めなかったからです。
作者ピエール・クロソウスキー(1905−2001)は、
「神学者にしてサドの註釈家、異端の信仰の実践者にしてエロティスムの神秘家、
すぐれたエッセイストにして巧妙な翻訳家、さまざまな領域にわたる学者である」
(モーリス・ドナー)訳者解説より。
画家バルトゥスの兄とのことです(知りませんでした・・・)。
「フランス中世の聖堂騎士団と秘教的なバフォメットの密儀に取材して書かれた
黙示録的な神秘小説」と訳者は語る。
バフォメットとは、勢力を強めた聖堂騎士団から国家資金調達の一策として
財産を没収すようとしたフィリップ4世が、神に背く背徳的秘教を行っていたとの罪をかぶせるために
拷問の末に創作された悪魔との説もあり、
その神秘思想が実際にあったのか、どういう実態だったのかは謎に包まれているといいます。
澁澤龍彦氏の『黒魔術の手帖』に詳しく書かれているそうですが、
あいにくその本は持っていません。
ドゥルーズやマンディアルグの賛辞から高く評価されている作品であることが伺えます。
「最後の審判」、両性具有、ニーチェの思想などのテーマが複雑に結晶した作品であり、
ディオニソス的下降とその裏に秘められた上昇、多神教的な臭いのする彼の神学・哲学を表現した、
最高傑作である(らしい・・・というのはまだ読んでないので・・・汗)。
プロローグ部分なので、何とも言えませんが、一言でいうと「難解」。
読んでもよく意味が、ストーリー展開さえ理解できない可能性が大きいですね。
挑戦してみます。

来週の木曜は『ブリキの太鼓』。
忘れないようにしなくては!
でも、前見た後魚の缶詰が食べられなくなったような。

02月05日

今朝暇つぶしに、いつもはあまり見ない書棚の奥の棚を探索。
澁澤龍彦氏の文庫はここに入っているが、同じ本が2冊あって驚く。
たぶん読んだのを忘れて買ってしまい、
もしかして内容も忘れて普通に読んでいたかも・・・。
情けなさすぎ・・・。
そこには夢野久作や小栗虫太郎、久生十蘭、内田百閨A
中井英夫、赤江瀑、三島、初期の大江健三郎とかがずら〜っと。
それらはまだ読んだ記憶があるからいいとして、
「マルドロールの歌」、「ガルシン短篇集」、マルセル・エイメ、アンドレ・マルロー、
そしてイエーツ、ネルヴァル、ホフマン・・・。
名前は知ってるけど、内容に関して記憶が全くない。
養老孟司の「脳の見方」なんて本もあったりして。
そんな中に長尾雅人の「蒙古ラマ廟記」とか・・・。
どこまで読んだのか読まないのか忘れてしまったのか、全く解りません(汗)。
そして、アンドレ・マソンの「寓意の図像学」を発見。
やっぱり覚えていないが、これでも読み返しましょうか。
また朔太郎の詩集もあって、他の文庫もあわせると4冊位持っていることになるが、
そこまで朔太郎を好きだったという記憶はない。
やはり、あまり考えてなかったようで。

結構人間の記憶(己のだろ!)の曖昧さに驚かされる今日この頃・・・。

02月04日

最近そういえばと思い出したのが、記紀神話に興味を持つようになったキッカケ。
7年位前かな。
ちょうど上信越道が開通して間もない頃(その頃まだ運転免許取ってなかった)、
友人がそのルートを使ってどこかへ行こうというので、
なんとなくその友人が誰かから聞いていたらしい長野の戸隠神社へ行きました。
その神社の存在、その時まで知らなかった私。
奥の院の杉木立の参道(途中歩くの嫌になりかかったけど)、
そして岩場にはりつくようにして建てられている奥の院。
その後もう一度行ってますが、何度でも行きたい位「神域!」って感じで圧倒されました。
で、戸隠神社の御祭神が天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)だと知りました。
天照大神が天岩戸に篭ってしまった時、外の様子を覗くためちょっと開けた天岩戸を、
一番の力持ちの天手力男命が手をかけて一気に開いたといいます。
その勢いがすごかったのか、その岩戸が長野まで飛んで行ってしまった。
その場所に建てられたのが戸隠神社とのこと。
はっきり言って爆笑!
ある意味単純というか神話独特のユーモアがあるじゃないですか。
それとともに不思議な感覚に捕われたんですね。
それで、記紀ってどういう話だったっけ?という疑問から現在に至る。
もちろんちょろっと齧った程度でしかないんですが。
それも次第に出雲系へ興味が移行してしまったという。
でも、そのキッカケって天手力男命がすっ飛ばした岩戸。
動機なんてこんなもんです。

02月03日

勘違いしちゃった福田官房長官。
秘書役の役人をかばうところは誉めてあげます。
こういうところで、もう話は決まっていて採決が形式だけのものだって思わされてしまう。
これが「場」で「和」で「環」。

出掛けていた間に録画しておいた『NHKスペシャル ドキュメントエルサレム』前編、まだ見てません。
早く見たいのだが、時間が・・・。
どうせ見ても、やっぱり根が深すぎ・・・と空しい気持ちになるんでしょうけど。
昨日Nステーションで、イスラエルが勝手にパレスティナ自治区に高い壁を作って、
囲い込みをしているという特集をやってましたね。
よく解らないが、昔はユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒も、
上手に住み分けして、平和に暮らしていたんですよね。
そういやそういう話、スペインの世界遺産の特集でやってましたね。
何人街ってのがきっちりあって、上手に生活していたっての。
イスラエルにとって、水源や井戸の確保っていうのが大問題なんでしょうけど、
そんな勝手が許される世の中って、国連も機能しない時代って、誰が監督すればいいんでしょうか。
誰でしたっけ、面白い発言してましたね。
勝手に壁をつくり土地を分断し、イスラエル兵が監視しているんですけど、
その壁を行き来するために並ぶパレスティナ人の行列が、
強制収容所に送られるユダヤ人の列の様だって。
そんな中、それでもこの政策に異を唱えるユダヤ人がいるというのが、せめてもの救い。

お昼タイムなので、ひとまずここまで。

――――――――

先ほど、『ドキュメントエルサレム』見ました。
よく歴史を知らないため、なぜユダヤ人が迫害を受け続けてきたのかが良く解らない。
流浪の民だからこそ、祖国に対する思いも宗教心も民族意識も強くなる。
それはわかるのだが、以前に『ひとりごと』に書いた他民族の排除に対して
抵抗がないのと別なのではないか?

そういえば、昨日の新聞で、イスラムの犠牲祭についてのコラムを読んだ。
ユダヤ、キリスト、イスラム共通の祖先とされるアブラハム、彼は神の命令により息子を殺害しようとする。
これは神が彼の信仰心を試そうとした試練であり、息子は寸前で殺されることはないのだが、
神の命令が絶対だという所、危険なものを孕んでいる気がしてならない。
人を試すような神なんて、私はいらない。


02月02日

今日は朝からどんより曇り、ストーブとエアコン両方で
寒さをしのいでます。
もし天気が崩れたら、完全に雪になりそうですね。
スタッドレスを履いていないので陸の孤島になる可能性が・・・。

どうもまた気持ちが下降線になってます。
遊びに行ってきて、現実と対面して、不安にかられて、
迷いや諦めに近いものやいろんなものがせめぎあって、
自分で自分の気持ちをどう整理したらいいのか、全く解らない。
世間一般的な幸せを得るために、孤独と戦わなくてはならないのか。
私にとっての最良の生き方は何なのか・・・。
何かが違う気がするのは、気のせいなのか?
現実から目をそむけずに、もうぐちゃぐちゃになるまで悩んで考えて、
そうしてはっきりとした答えを出したい。
後になって、「あんなこと位でよくあんなに悩めたなぁ」って言えるように成長したい。

でも、今は、今だけは、どん底で這い回るのを自分に許そうと思う。

―――――――

前回の『ひとりごと』でちょっとだけ触れたエビスについて、
『歴史読本』臨時増刊で吉野裕子(民俗学)という方が、
「蛇神と五行思想」というタイトルでエビス論を展開している。
エビス信仰の総本山として有名な神社は、西宮神社(蛭児大神)、美保神社・今宮戎神社(事代主命)。
ヒルコといえば、イザナギ・イザナミが最初に生んだ子供で、
声をかける順番を間違ったために生まれた子とされている。
そのため、3年経っても足が立たなかったため、海に流したと『古事記』には記されている。
蛭は四肢がないこと、動きが蛇に似ていることなど、蛇との共通点が多い。
また、事代主は、これは大国主命の息子で、国譲りの時海で船から身を投げ自殺してしまうが、
フカに食われたため足を損傷しているという。
五行思想については面倒なんで省くとして(いい加減だね)、
両者ともに蛇の性を備えているとのこと。
エビスは竪烏帽子をかぶり、鯛と釣竿を持っている。
烏帽子は形から蛇を模したものと考えられる。
また、エビスは聾だといい、この言葉を分解すると「龍の耳」となる。
すなわち、龍=蛇の耳、聴力がないという論にたどり着く。
そのほか、一つ目、片足、一本足などの俗信もあり、蛇神の俗信と同一であるという。
従って、世界中の原始的民族宗教に多く見られる蛇神信仰、
これが形を変えたものがエビス信仰へと変化していったと見ている。

どの論の誰のものか解らないが、エビス=夷(東の蛮族)であり、
海と深い関わりを持っていることから、エビスを渡来の神と論じていたものも読んだおぼえがある。
また、エビスは、海蛇ではないかとする説もあった。
海から陸上へとやって来る神、それは大漁を暗示するという。
海に流されてしまったヒルコが、どこかの海岸から上陸することによって、
「まれびと」たるエビスへと変化して行った様が想像されうる。
『古事記』にまで取り入れながら、正当な系譜から外されている所に、
また、それを一大勢力を誇った出雲の大国主の息子としているところにも、
無視できない程古くから蛇神が強く信仰をされていた事が伺える。

7福神の一人としての福々しい恵比寿、それがちょっと検証しただけで、
途端に闇から浮かび上がるように見えてくる、アニミズム的などろどろとした側面。

こういう所に魅かれる私は、やはりどこか所謂普通の感覚から逸脱しているのだろうか・・・。
今はひたすら自分と向き合うしかない。

とうとう雪が降り始めた。
綺麗。

―――――――

どうにか途中から霙になっていた雪もやんで、陸の孤島を免れた模様。
心配だったのでさっき買出しに行って来たところ。
気分転換になったのか、今は普通のテンションに回復。
でもアルコールがむしょーに飲みたい・・・でも胃がちょっとまた悪くなってる・・・涙。

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