12月31日

今日は忙しくてこちらに来れないかと思ったけど、どうにかヒマを見つけて来れました。
大収穫は何といっても今日お邪魔した知人宅でおみやげに『越乃寒梅』を頂いたことです。
Sさん、Sさんの旦那さん、もうそちらに足を向けては眠れません・・・。
今から飲みたいが、我慢、我慢。
ってことで、鬱ぎみだったのが一機に躁になってしまうという単純さ。
やっぱり典型的B型なのでしょう・・・。
そういえば、イタリアに旅行に行って、友人に何がおいしかった?と聞かれても、
「キャンティクラシコ」としか言えなかった私が悲しい。
メキシコに行った時も何がおいしかったというより、
やはり「XX(ドスエクスと発音してたかな)」という軽い飲み心地のよいビールしか覚えてません
(pojoと書いて「ポヨ」と読む鶏肉を意味する言葉は覚えたが)。
メキシコ、2回行ってます。
それは兄がメキシコの女性と結婚し向こうに定住してしまったからです。
しばらく音信普通だったのが、ある日メキシコで商売をやっているという日本人より手紙を頂き、
それで兄がどこで何をしているか知ったという次第。
どちらかというと地味な一家のはずなのに、だからこそか、
そういう外交的な人間が育つとは思わなかったので驚きました。
預金をためるために何年かこちらに来てましたが、今はメキシコの観光地でツアーガイドをしてるそうです
(まだやってるのかな、ラテン系は何を考えてるかわからん!)。
で、日本に帰ってきていた時聞いたのが、やはり神か霊か何だか解らないが何かの存在を感じる、というのです。
メキシコはカソリックの国ですが、もともと土着の宗教があり、それをキリスト教に改宗させられたという歴史を持ってます(ありがちですね)。
キリスト教が爆発的に普及したキッカケは、
カトリック三大奇跡のひとつとされる褐色黒髪の聖母(グアダルーペ、マントに聖母像が浮かび上がった)の存在によります。
この聖母は、アステカの母神トナンツィンと同一視されていたと言います。
金髪碧眼ではなく(もともとマリアもイエスは白人じゃないんですけどね)、
原住民と同じ肌・髪の色を持った聖母の出現により、元からあった信仰と結びついて広まったそうです。
マリア観音と通じてますね。
取り込みが行われるのって多神教の特徴ですから。
そういう土壌からか、所謂我々が思うキリスト教とは微妙に違うものになっていると言ってました。
例えば、キリスト教では死後天国か地獄へ行くわけでしょ?
それなのに、兄の住んでいた所では、日本でいうお彼岸のような儀式があり、
戸口から部屋の中まで先祖の霊が迷わないように散らした花びらで道を作ると言っていました。
で、やはり、ホワイトマジックとブラックマジックが存在するとも(それも身近に)。
詳しい話は兄も聞かせてもらえてないそうですが、
兄の奥さん(て言葉通じないけど私の義姉じゃん)は小さい頃悪魔崇拝(と言ってもどういうものなのかわかりませんけど)と関係があったらしく、
今でもいろいろなものを見るそうです。
それとは別に、やはり環境なのか何なのか、言葉では言い表せない存在を感じると言っていました。
何かが絶対いる(在る)と断言するんですよ。
もちろん我が家で霊感のある人間は親戚も含め殆どいません。
それでも感じる何か。
もっと詳しく聞いときゃ良かった。

所謂神域(信仰を集めている神社やお寺等)のように、
信仰する人々の念があつまると、とても清浄な雰囲気を作り出すじゃないですか。
それを実感したのって浅草の浅草寺だったんだけど。
あれだけごちゃごちゃ人だらけなのに、寺社内に入った途端、すっごい気持ちのいい雰囲気になってる。
流石に驚きました。
何かが違うってね。
そういうのって多くの人の信仰の気持ちが凝集されたからだと思うんです。
もちろんサンピエトロ寺院もすごかったです。
あの厳かさ。
そういう思いが染み付くと神域(地形やその他の要因もあると思うけど)になる。
同様に悪い念が取り憑くとそういう場所になってしまう。
だから気功やってたので、気が物理的に影響を及ぼすのって体験してるんですって。
絶対プラシーボ効果じゃないんです(ないと思う・・・)。
例えば家でも人が住まなくなると、荒廃するの早いじゃないですか。
あと、精神状態の悪い人の周りってどんよりしてる、とか。
だから何かしらが生き物に限らないと思うけど、出ていると思う。
単純に尖ったものの先端からは、「気」って出てるんですよ。
くぼんだ所は集まるようになっているし。
イヤだな、どんどん危ない人になっちゃってるよ私。
だから、その「何か」ってのが人が作り出したものかもしれないし、計り知れないものかもしれない。
あってもいいんじゃない?って位の軽い気分でいますけど。
ユングの心理学って、突き詰めていくとそういう問題に行き着くと思ってます。
普遍的な元型って、もう個人を圧倒しているじゃないですか。
そういうものを人は皆抱えている。
絶対ムリだと思うけど、真実を知りたいです。
そうすれば、自分(人)は何をするために生まれたのか、何のために生きているのか、解るのかな。

年末のせいか相当暴走ぎみですね、私。
たぶんあせっているんだろうな。いろんな意味で。
『映像の世紀』というNHKの番組の再放送を見ているんですけど、
あまりに悲惨なことが多すぎるじゃないですか。
人間って殺しあったり憎みあったりするために生まれて来たんじゃないと思う。
それなのに、現実は悲惨すぎる。
だから、「生きている」意味を見出したい。

12月30日

子供の頃年末年始というと冬休みってことで楽しくて仕方なかったのに、
この年になると、特に年末、掃除したり、買い物したり、と新年を迎える用意をしなくてはならないので、
何にもしてないのに忙しい〜と悲鳴を上げ続けなくちゃならない。
今日もそんなこんなでいつもは午前中がネット時間なのに今頃になってしまった・・・。
新年を迎えるからなのか、やはり今年一年私事でも公でも良くない年だったせいか、
いろんな要素が絡み合って、微妙に鬱が入ってきてます。
しかもやっかいなのが、意味もなくイライラと人に八つ当たりしてしまう所
(医者に更年期によくある症状と言われてしまった・・・)。
まあ、原因は察しがついているんですけどね。
「う〜」と頭抱えて唸ってます。

今日たまたまもうひとつの家の方に行ってきたんですが(まだ荷物が一杯ある)、
居間の本棚に昔買った本が並んでいて、眺めてしまった。
バタイユの本があって、ミラレパの本があって(これ貰いものだったよな)、
『ライ麦畑でつかまえて』とか、フランス幻想小説とか、あと仏教書もちらほら、坂口安吾の本とか、
なんかまるで私の頭の中のように脈絡無く並んでいたのには自分でも驚きました。
また、悲しいのが、殆ど読んだ内容覚えていないってところ(涙)。
だってやっぱり若い頃に読んだって脳みその限界ってものがあるわけで、
若気の至りでついそれっぽい本を買いあさったってのが正解でしょう。
その中でこんなのも持ってたっけと高橋巌+荒俣宏(対談)『神秘学オデッセイ 精神史の解読』ってのを見つけ持ってきました。
古本で買ったため表紙カバーなし。
ブラヴァッキーだのシュタイナーだの、そうそう昔この手の本読んだよ、
ってな名前がごろごろ出てくるのが、今となっては新鮮です。
神智学といえば、学生の頃友人とインドに行った時、
友人達はマドラスの神智学協会の門の前まで行ってきてました(その時私は寝込んでた・・・)。
そういえば、前の会社で、定年してしまったけど事務所に面白いおじさんがいて、
いろんな「とんでも本」を貸してもらいました。
その中でタイトル等忘れてしまいましたが、救世主と名乗るマイトレーヤという人の本を借りたのですが、
初めはいい事を書いてるぞ!と思っていたのが、次第に不自然さを感じだし、
女性差別的な内容に引っかかり、「いやだなあ」と感じました。
それから、寝る前に読んでいたのでベッドのそばに置いておいたのですが、
とにかくその本が怖くなり、載っているマイトレーヤという人物の写真がどうしても「死体」にしか思えなくなり、
怖くて怖くて電気を点けたまま寝ました(並みの恐怖じゃなかったよ)。
それですぐに本を返しました。
前にも一度こういう恐怖で一週間程よく眠れなかったことがありましたが(本当に体がガタガタ震えだす)、
それよりはイメージが弱かったためすぐ恐怖心はなくなりました。
一体なんだったのでしょう???
霊感はないけど気感はある(ちょっと気功を習ってたので)と自称している私なんですが、
あの恐怖はどちらかというとユングのいう無防備に集合無意識と接触してしまった、
集合無意識的なシャドウに取り込まれかかった恐怖ではないかと今では思ってます。
こういうのも一種の神秘体験?
そんな経験もあるせいか、神秘学というとちょっと怖さも感じてしまいます。

12月29日

「場」の次は「ワ」ですか。
ていうのは井沢元彦の『逆説の日本史』を読み始めたからでした。
この方もか〜なり緻密・批判精神旺盛、独特な観点でものを見るかたですね。
アマゾンのコメントで、3巻あたりで学会批判が目立ちすぎて食傷したようなこと書いてありましたが、
十分1巻から飛ばしてます。
河合隼雄氏が「場」と称していた日本独特の観念を、井沢氏は「ワ」という言葉で表現しています。
すなわち「倭」であり「和」、「環」。
環状集落から始まり、「話し合い至上主義」の原則でものごとを動かすのが、日本人の特徴である、と。
この方の見方は、かなり批判入ってますけど、学会や政治等引き合いに出し、説得力を持たせてます。
今「大国主論」という章を読んでますが、この「国譲り」と『旧約聖書』の「ヨシュア記」とを比較しています。
ちょっと「国譲り」に関しては記すと長くなるので省くとして、「ヨシュア記」について。
この本読むまでこんな話があったとは知りませんでした。
つまり、預言者(神の言葉を預かる者)ヨシュアが、
神にカナン(イスラエル)の土地を与えると約束され一族を率いて向かう。
そこで何をやったか。
先住民を女子供区別なく家畜にいたるまで皆殺しにし、終には31のも国を滅ぼしてしまう。
ここで井沢氏が指摘するのが、神が造物主であるということ=造物主の命令は絶対である。
そのため、大虐殺は悪にならないどころか、英雄視されるということ。
このあたり多神教の日本人には理解できない所。
逆に日本ではそういう絶対的存在の命令という拠り所(理由)がないため、祟りを恐れて祀ってしまう。
菅原道真しかり。
一方絶対神の管理下にある生命が殺戮されても、「神」の命令なら「タタリ」を恐れる必要もなく、完全なる「正義」になる。
このあたり、今のアメリカの行動、または大航海時代の宣教の名の下に行われた侵略等々、納得が行くというもの。
神の命令なら何したって正義になっちゃうんですもの。
こういう心理、はっきり言って解りたくないです。
何となくたぶんそういう考えから、(勿論きっちり利益も考えて)「正義」と思って行っているのだろうと、
アフガンやイラク見て思ってましたけど。
だから原理主義程怖いものはない、ってやつだね。
まあ、日本人の独特なところも述べてますけど(これはこれで何だかなぁ、って感じ)、
欧米人の思考の中に日本人とは全く相容れない根本的な相違が存在するって所、
理解しあうには激しく高い壁を意識してしまいます。
もちろん、個々人はとてもいい人たちばかりだと思うけど、集団になりそこに目的が与えられた時、何が起こるか、ちょっと怖いものがありますね。
イスラム教に関しては知識が殆どないので、よく解りません。
ただやはり原理主義になると残虐としか思えない理不尽なことも彼らにとっては神の意思となってしまうということ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、皆砂漠という過酷な環境で生まれた宗教です。
絶対神を頂点に配置し、一人の暴挙が民族全体の滅亡をも招かざるを得ない状況のなかで、
厳しい規律と独特の正義を掲げないと統率できなかったのでしょう。
それが、全く環境も生活も異なってしまった現代に、まだ怨霊のように取り憑いている所(信者の方が読まれたらごめんなさい)が、
これからの世界の発展に大きな障壁になるのは間違いないことだと思います。
あれ「ワ」の話がどっかへ行ってしまった。
こんなの読んでると、「なるほど」と思う反面、どっと疲れが・・・。
それでも、いつかはいい方向へ向かうと信じてます!

12月28日

本当は大掃除しなくちゃ、と思いつつ、もう午後2時になってる。
日曜の午前中は田原総一朗さんの番組があるので仕方ないんだけど。
今日は『緊急生特番!徹底追及田原総一朗"不可解"を斬る』(また長いタイトル・・・)やってました。
一番注目していたのが、岡崎元大使(政府とアメリカのパイプ役)と天木直人元レバノン大使(『さらば外務省』で有名な外務省を解雇された人)の討論だったけど、
特別目新しいことはおっしゃってませんでしたね。
ただただ政府・官僚サイドの人達が"とにかくアメリカが怖くて怖くて仕方ない"ってことがよくわかりました。
金子教授が、長期的な見方からするとアメリカの暴走に付き合ってブッシュと心中するよりリクスを分散すべき、と言って、塩爺に「学者の論理」とつっこまれてました。
まるでガキ大将ととりまきと下っ端といじめられっこの図式が浮かぶ。
韓国だってどちらかというと反米で支持を受けたノ・ムヒョンが、結局は北朝鮮の脅威からアメリカの言うなりになっているというジレンマに陥っているし。
難しい問題ですね。
でも「奢れるものも久しからず」でアメリカの凋落も近づいている気がしますけど。
そんな事より、イランの大地震の救援に自衛隊を派遣して欲しかったなぁ・・・。

昨夜『世界ふしぎ発見!』で、フランスの郵便配達夫シュヴァルさんの不思議な宮殿、やってましたね。
この方の幻想が混ざり合った神秘的な建造物、生で見てみたいです。
あと日本の獏と夢とのかかわりをテーマにしたものも面白かったですね。
昔の人は夢と現実とを全く隔絶したものとは考えていなかったため、
夢の売買(商売にしている人もいた)や盗み聞きして夢を盗んでしまう話など多くあるのが面白いです。
長期記憶は夢を見ている間に固定されると何か見ましたけど、
夢によって心の中で何かの整理や情動の表れや意識していなかった部分の発現など、
とても理性では理解できない何かが働いているというところ、とても魅かれます。
多分生き物ってムダなく進化しているはず。
だから夢を見るってことも何か重要な意味があるわけでしょ?
動物でも人でも死が近づくとアドレナリンが分泌されて痛みを感じなくなり、逆に気持ちよくなるっての、
これだって"死"ってのが生物的死以外に何か意味があるから、そういうシステムができているんだと思う。
何でだかまるっきり解りませんけど。
そのあたりに生命の神秘ってある気がするけど、どうなんでしょうね。

12月27日

もう今日あたり皆さん今年の仕事納めも終わって、ほっと一息ついているのでしょうか。
去年までは、終わった〜、て年賀状と大掃除に追われのんびりする間もなく大晦日を迎えていた気がします。
今年は6年ぶりのちょっと余裕の年末。
6年前は離婚して仕事も辞めて(いられない状況になった)ひたすら心に出来た傷に耐えながらやっと日々生きてたような。
それが、今では嘘のよう。
あの頃と比べれば、「くら〜い」と言ってもとーっても明るい性格になってる。
もうちょいですね。
まあ今年を振り返るのは、もうちょっとしてからにしましょう。

所で、今日は午前中年賀状出して空腹に気絶しそうになりながら買い物して、昼食とりながら見ていたのが、
『報道特番2003・衝撃!医療ミス大国ニッポン・・・』(タイトル長いので省略)。
大学病院の悪弊について、どうして医療ミスが起こるのか、どうに改革を進めているか、など、
どちらかというと希望を交えて報道してました。
大学病院が抱える一番の問題が、教授を頂点とした完全ピラミッド構造の医局というシステム。
『ブラックジャックによろしく』や『白い巨塔』でも扱われていますよね。
他の科と自由に意見交換できず、必ず教授の判断を仰がなくてはならないって。
また、教授の不興を買うと他の病院に飛ばされたり、手術させてもらえなかったりと、教授が絶対的な権力を握っているとのこと。
何かパーティーがあると10万、仲人を頼むと100万、とにかく金金金。
患者ではなく研究主体。
だが最近医療ミスによる裁判が多くなり、病院によっては信頼回復のために努力をしているらしいです。
医局を廃止したり、安全管理のためのチェックを何重にも行ったり。
また、医学界との関わりを絶ち一人の医師として年間200件以上の心臓バイパス手術をこなす
南淵医師の取り組みも紹介していました(この人最近TVによく出ますよね)。
ここで感じたのが、医局に代表される大学病院のシステムが、「場」ってしろものなんだなあ、ってこと(最近こればっかですね)。
その内部にいれば守ってもらえる、保障してもらえる、が、その「場」にそぐわないと追放されてしまうという日本独特の「場の倫理」。
下のものは教授の意見に異を唱えられないが、その代わり、頂点に立つ教授は下のものの責任を背負わなくてはならない。
完全タテ割りて、他の医局との接触はなし。
すっごい解りやすいですね。
会社も官僚も政治もコミュニティーも全て「場の倫理」で説明がついてしまう気がする。
この良い面悪い面併せ持つ「場」が、悪い方向へ向かい始めたのって、やっぱり「バブル」だったのではないしょうか。
この時、お金絶対主義みたいなものが浸透してしまい、「場」の力関係に金銭(既得権益)が絡むようになって、おかしな方向へ向かい始めたのでは?
で、今やっとその反動、ゆり戻しが起こり始めたのかなあ、なんて、最近の報道などを見ると感じてしまいます。

ってことで、ちょっと希望持てるかも、というのが最近の私の気持ちです。


12月26日

『対人恐怖の心理』、今読んでる本の中の小タイトルです。
対人恐怖症というのは日本人に特に多い症状だそうですね。
西洋人が「個」の確立を中心として自我を育てていくのに対し、
日本人にとっては「場」が中心になり、
平等(西洋人のいうのと違う)と没個性・タテ社会の構造の中でどう生きるかが重要になってくるとのこと。
対人恐怖というのは、言いかえれば対「場」恐怖であり、
対「自」恐怖(「場」にうまく適合できない自分に対する)であるらしい。
特に現代は、半端な西洋的考えが取り込まれ、「場」中心の教育ではなく、
「個」の確立を理解していない状態でのしつけ(厳格すぎたり放任になる)になっているらしい。
この本が書かれた当時でこう言われているのだから、今なんてその根がもっと深くなっていることでしょう。
だから西洋的な自我が弱い状態で半端に個性重視みたいな奇麗事を言っているから、
無意識的な自身(ユング派では「自己(Self)」と表現)からの圧力に弱く、
「場」にうまく入りこむことが出来なくなってしまっている。
逆に対人恐怖を抱く人は、表面上の自我は弱い(と思い込んでいる)が、強い自己からの突き上げに苦しんでいると言ってもいい。
「場」と「個」の間で揺れ動いている状態なんでしょう。
難しいですね。
要するに、今読んでるところから得られたというか勇気付けられたのは、
対人恐怖に陥る人は、それだけ強い自我(自己)を持っているから、とも考えられるってこと。
だから「場」からはみ出してしまう。
それが恐怖症になっているってこと。
西洋人的「個」中心、日本人的「場」中心、どちらも優劣はつけられないけど、ここから第3の道が生まれるのでは、と書かれてます。
どうにかその糸口をみつけられれば、社会もこれ程乱れないのでは、と思っています。
やっぱ上手くまとめられない〜(頭がへろへろ)。
のんびり努力していくしかないってことだな。

12月25日

実は我が家は貧乏でした(昔はみんなそうだったと言う)。
それなのに、親がミエっぱりで私立のカトリック系の幼稚園へ通わされました。
っていってもそんな小さな頃なので、宗教について何にも解らず、
「父と子と聖霊の御名においてアーメン」なんて普通に祈っていた気が。
入園すると『こどもの聖書』というものをもらうのですが、読んだのは小学校に入ってからかな。
一部しか記憶になく、今となってはどこへ行ってしまったかわからなくなってます。
たぶんモーゼの話だったか、捉えられている主人公が王の夢解きをする話が妙に印象に残ってます。
結局王はその夢解きを信じなかったために大変困難な状態になるんですけど。
イエスの時代って、ちょうどユダヤ教の腐敗が進み、いろいろな宗教者が出てきていた時期だったらしいですね。
キリスト教が後に広まったのはサウロ(後のパウロ)の宗教活動が巧みだったためだと思ってます。
詳しくは知りませんけど。
何年前でしたっけ、マーティン・スコセッシの『キリスト最後の誘惑』という映画があり、
人間としてイエスを扱ったという問題作ということで話題になりましたね。
実はこの映画にはまり、6回は映画館に足を運び、ビデオも購入、
原作も日本語訳と洋書と揃えてしまったほどだったのです。
何故ここまではまったのか、当時は東洋哲学を専攻していたのですが、いろいろ行き詰まり悩んでいる時だったので
正反対のキリスト教、というより、人間としてのイエスに興味を抱いたためだと思ってます。
勿論実際どんな人物だったかなんて今となっては想像もつきませんが。
でも、この宗教によって、圧倒的父性社会が浸透していくことになるというのも、不思議な感じがします。
多神教・包含の母性社会、一神教・断罪の父性社会。
それらを上手に統合できる日は来るのでしょうか。
そうすれば、テロもなく、対立も少なくなるのでは、と思わずにおれません。


12月24日

河合隼雄氏の『母性社会日本の病理』をやっと読み始めました。
この本は、もう30年近く前の出版でハードカバーだったため、なかなか読む機会がなかった(本屋で在庫してないし)。
それがやっと文庫化し、手に入れられたのは嬉しいですねぇ。
初期の著作、しかも中央公論連載ということで、今とは微妙に違う、まだ探り探りという感のするものではあるけど、
やはり日本の特異性というものを母性と絡めて分析しているところが、
私たちが生きていく上で重要な示唆を与えてくれるものだと思う(まだ3分の1しか読んでないけど)。
今この方は、母性の期限を記紀神話に求め、中空構造という独自の概念を生み出し分析している(もう1冊がこれについて書かれた本)。
まだ若かった頃読んだ心理分析の本は、男性の視点からの著作が多く、また日本独自の傾向を分析しているものは殆どなかった(秋山さと子女史は除く)。
そのため、タイトルに"母性社会"とあるところから、もう長い間、この本を読めば何かが解るのではとずーっと思っていた。
この日本の独特な資質って、どっか不自然な不思議な感じがするし、そこへ今は欧米流の考え方がどっと流れ込み(特に雇用だよね)、
その狭間で日本人は揺れ動いている状態だと思っている。
先が益々見えなくなっている今、何かの糸口を与えてもらえれば、せめて自分自身を高める事ができるなら、と漠然と考えてしまう。
なかなか思ったようには生きられないのが現状だけど。

12月19日

『バルザック』後編を見ました。
やはりドラマとはいえ、日本語吹き替えには激しくアレルギー反応示してしまいます。
字幕読まなくて楽っていえばそれまでだけど。
何とも激しいとしかいえないドラマでしたね。
もしかして肥満ゆえの糖尿病合併症が死因?
ドラマ後古い百科事典を引っ張り出して「バルザック」の項調べてみました。
やはり生涯借金に苦しめられて作品を書き続け、追い詰められて体調を崩して亡くなったとありましたね。
今でもそうなのかもしれませんが、こういう大作を残す人って、破滅型多いですね。
「叫び」で有名なムンク、精神病が治ったら普通の絵しか書けなくなったとか。
そういえば、私の大好きだったケイト・ブッシュも入院して誇大妄想が直ったら、普通の人になってしまった
(入院前のアルバムは寒気が来るほどスゴイ!)。
そういう所を考えると、作品に殺されるよりは、平穏な日々を送りたい。
才能は欲しいけど、静かな日々の方がいい。と思ってしまう。

話は変わって、昨日アマゾンで本を注文しました。
5冊。
親が恩師から井沢元彦の『逆説の日本史』の3巻までが面白いと聞いてきたのでその3冊(どうせ私も読むだろ、ということで)と、
私にも買わせろ!と河合隼雄の読みたかった本2冊(田舎の書店にはなかなかないんです・・・涙)。
井沢元彦の小説、江戸川乱歩賞を受賞した『猿丸幻視行』読んでます。
これもすっごい昔なので、折口信夫が主人公で、猿丸太夫の歌といろはうたを題材にした推理小説ってのしか覚えてません
(学校の図書館で借りた)。
その後読んだ小説があまりにもつまらなかったのでそれ以来興味を抱いていませんでした。
それが知らないうちにいろいろと面白そうな本を出されていたんですね。

12月18日

昨夜衛星の仏ドラマ『バルザック・情熱の生涯(前編)』見ましたけど、
やはり後の世に名を残す方達ってパワーが違うのでしょうか。
自分自身を全く偽らず、どこまでもプラス思考で、誇大妄想入ってる位自信家で、あの迫力には脱帽です。
ちまちまと小さい事で悩んでいる自分が、本当に小さく見えてしまいます。
ある意味、あまりの大雑把さにウケまくってしまいました。
そういうドラマじゃないって(やっぱ感覚変?)。
彼の作品、実は一作しか読んでません。
平成元年に角川文庫がリバイバル・コレクションとしてちょいマニアックな古典的作品を復刻していましたが、
その中に『セラフィタ』という小説があり、読んだのはそれだけですね。
男性からは女性に見え、女性からは男性に見えるというセラフィタ或いはセラフィトゥスという人物との純粋な愛を描いています。
実はそんな前に読んだので詳細は全く記憶に残っていませんが、バルザックの神秘性(あまり扱われていないそうで)が伺えます。
キリスト教に裏打ちされた作品なので(当たり前ですが)読んだ時は奇妙な気分になったのを覚えてます。
今探したら発掘できました!
旧カナ使いの翻訳なので読み難いけど、読み返してみよ。
たぶん全く違う受け止め方するんだろうなぁ。
年を取るって悲しいような嬉しいような・・・。
そういえば(唐突!)今朝、何となく澁澤龍彦氏のことが頭に浮かんでいて、彼の作品も読み返してみようかなあ、とぼんやり考えていました。
どのタイトルのものだったか、人間はたまねぎのようなもので皮を剥いていくと最後には何もない、というような文章がありました。
私は最後の何もない空間こそ本質(空=充満)なのではと思っていますけど。

12月15日

サダム・フセイン元大統領、とうとう拘束されましたね。
まず『さんまのからくり』で速報が入り、クルド人指導者筋ということで、半信半疑でいました。
その後見るものなくて『新日曜美術館』(庭園美術館の朝香宮ご夫妻とアールデコ)見て、そのまま『末っ子長男』見てました。
その間も速報が入り、マジだったの?と思っているうちにNHKやフジでは特番放送していたんですね。
知りませんでした。
そのため『NHKスペシャル文明の道』をビデオ予約にしていたため録り損ねてしまいました(涙)。
それにしても、フセインの拘束、ちょっと微妙な気分になっています。
勿論捕まるべきだったのですが、妙に哀れな気がして。
だって元を辿れば、イランで親米王朝を樹立し貧富の差が激しくなりイラン革命が起こり、
米ソの代理戦争も兼ねてイラン・イラク戦争となり、
ソ連に対抗するためにイラクを、フセインをアメリカは育てた訳じゃないですか。
一説によると、もともと湾岸戦争の時も、事前にアメリカに打診し、
アメリカは手を出さないという話だったのでフセインはクエートに侵攻したって。
どういう裏の事情があったのが計り知れないですけど。
勿論、フセインの独裁は認めてはいません。
もともとイラク戦争が石油利権に目の眩んだ国々の駆け引きの結果だってのが見え見えなだけに、このニュースを喜べない。
でも拘束されたことで、フセイン政権の残党が静かになり(アルカイダに横滑りしそうな・・・)、
民衆も安心して、新イラク秩序回復に拍車がかかればいいんですけど。
アメリカも独断専行でこの事態を処理せず、イラク暫定自治政府を上手に絡ませて進めて行って欲しいですね。
あと、ちょっと思ったけど、まさかとは思うけど、これもアメリカの演出で実はニセモノなんて事はないでしょうね?
流石にそこまで世の中舐めていないと思いますが。
フセインが拘束されたからと言って、自衛隊派遣は絶対反対と思ってますけど。
イラクはまだこれからが大変で、皆専門家はイラクを束ねる人物がいないと言っていました。
早く復興が進み、安定した国になるよう祈っています。
もうテロなんて沢山!!

12月14日

どうしても難しい番組を見ていると、猛烈な眠気に襲われ、今も『サンデープロジェクト』見てて、もう集中できない、
睡魔が・・・、話しが飲み込めない、と何とも情けない状態に。
このまま化学物質漬けの日々を送っていると、若年性ボケも遠い日ではない気が・・・。
そんな頭なので、今日のサンプロはメモ取らせてもらいました。
独立総研(でいいんでしたっけ?)の青山さん(この人急にマスメディアに出るようになったけど、何をしてらした方なんでしょ、
するどいので好きです)がイラクに行ってきたということで、現状をレポしてました。
とにかくバクダッドでさえ米軍は制圧できていないのが現状だって?
米軍も戦争の訓練は受けているが、対テロの訓練は受けておらず、対処しきれていない、と。
そして、サマワへ。
ここの宗教的指導者とインタビューした時、やはり日本側とコミュニケーションが十分取れていない(通訳の問題が大)、
米軍のテロ掃討作戦のことを"テロ"と言っていたとのこと。
米軍の行動が、現地の人達にはテロに見做されているなんて、イラクが難しい状況にある事をよく示していますよね。
青山さん、その後ワシントンで共和党の国防省の人と会い、その時会った人物は土曜で仕事ではなくプライベートということで言っていたのが、
要するに「自衛隊には来て欲しくない」と。
自衛隊がテロの攻撃を受けそれを守るために米軍の被害者を出したくない、
また、自衛隊がテロに弱いことをさらしてしまい、一番喜ぶのは金正日だって。
なんだか恐ろしいことになりそうな・・・。
一般人にはわからない水面下の外交交渉でこうならざるを得なかった小泉さんには、同情します。

また今度はペルーで阪急交通(だっけ)のバスのスリップ事故があったようですね。
ここの所、この会社ばかりで大変そう。
バス事故といえば、6年前トルコで日本の観光バスが前の車を追い越そうとして対向車と正面衝突したという大事故がありました。
ちょうどその時、同じような時間帯に同じルートを通っていたため、友達や家族に心配されました。
あと、カンクーンの遺跡で落盤により新婚旅行に来ていた夫婦が被害に会った時も、
兄がカンクーンでツアーガイドしているんですが、事故の10分後にそこを案内しに行って立ち入り禁止になっていたと言ってました。
ほんのちょっとのタイミングの差で、自分達が巻き込まれたかもしれないと思うと、怖いものがあります。
これからはテロにも怯えなくてならなくなるかもしれないが、どうにも対処できないのが悲しい所。
こうなりゃ、覚悟するしかないんですよね。虚しいです。

12月12日

またまた昨日ドツボにはまってしまったけど、どうにか踏ん張れました。
最近は、はまりっぱなしではなく、途中で分析が入るようになったので、助かります。
そうでないと、負の螺旋が延々と。
改めて自己分析して、「なんて私って暗いんだろ〜」というのが感想。
がっくりです。
なんだか、やっぱり幼児体験が大きいようで、
本当に小さいときは、自分はいらない子だと思っていて&家族に憎まれているとまで思っていて、
だから人に対してはっきり意思表示ができず、失敗ばかりを繰り返してきた。
だって、イヤだって言って嫌われるのが怖かったから。
必要ない人間だと思われるのが苦しかったから。
そんなんで、もう自意識が肥大化してしまい、すぐ、くよくよ「どうせ私なんて・・・」って卑屈な方向に行ってしまっていた。
流石にいろいろバカな経験をしたせいか、今は卑屈度低下しているが、
それでもどっかでいつも誰かに必要とされたい願望が強くて、
その表れが、人の話を直球で受け止めてしまうという不器用な面に現れてしまっている。
自分だって思いつきで適当に話しているのに、
人の話だと、一生懸命聞いてしまってどうにかしてその人に解決策を提示できないだろうか、
どうにかしてあげられないだろうか、という聞き方になってしまい、疲れてしまう。
そして無力感にさいなまれてマイナス思考に陥ってしまう。
いちいち人の話、深読みしすぎるしね。
例えば、この人はこの話をして私に何を望んでいるんだろうって。
みんな適当に上手に聞き流しているのに。
だから、井戸端会議はまるっきり出来ません。
人の悪口も嫌い。
自慢話も嫌い。
発展性のない話も出来ない。
これじゃ、誰とも付き合えないって。
昨日は、「そうか、こんな一生懸命にならなくたって、流しちゃえばいいんじゃん、
真剣にがっちり受け止めすぎるのがおかしいんじゃない」と思えて(でもなかなか出来ないんだよねぇ)、
で、「私ってやっぱり暗い」という結論に到達してしまった・・・。
でもこれって、客観性が入ってるので嫌な結論出ちゃっても、そこを直せばいいんだっていう前向きな思考にも繋がるから、
どうにか踏みとどまることが出来た。
こんなんだから、なんだか虐待児が親をかばったり、
自分が悪いから虐待されるんだって思うようになる気持ちがわかっちゃったりしちゃうんです。
弱者の気持ちに敏感ってか。
学生の時、友人にカウンセラーが向いているんじゃって言われたことがあった。
心理学にはすっごい興味があって、本当はそういう系統の学科に進みたかったくらいなんだけど、
半受験ノイローゼみたくなってかろうじて引っかかったところに入っちゃったもんで・・・。
で、友人のその言葉、嬉しかったが、絶対ムリだと思った。
何故って、それは同調しちゃうから。
心に闇を抱えた人って、あり地獄のような吸引力があって、絶対引きずり込まれるのが解っている。
カウンセラーは、上手に中間的な立場に立たないとできない仕事。
だから、私のような人間がやったら、患者と二人で落ちてってしまうの明白。
怖くて患者と接触出来ないって。
いつか、もっと強くなり必要な部分と必要でない部分を区別できるようになったら、
そして私でも誰かに希望を与えられるという自覚を持てるようになったら・・・。
今日は飲み会!!!(と気持ちを切り替える!)
アルコール入るとテンション高くなるので、明るくなるのよ。
それって反動???

12月10日

小泉さんの会見、どうせ言い訳しかしないだろうからよく聞いてなかったけど、やっぱりというか何というか。
結局、日本は誰が首相だろうとどこが政権をとろうと大差はなかった気がするけど、あっけなさ過ぎて拍子抜けです。
ちょうど何週間か前にふと思い出していた司馬遼太郎さん、今日の『天声人語』にも取り上げられていたけど、
本当にこの方が今生きていたら、この世界を見て何て言っていただろうと考えてしまいます。
バブルの時代、皆が浮かれている中土地を投資対象としてしか見なくなってしまった日本の現状に危機を訴えていました。
先週のニュースステーションでピースウィンズジャパンの大西さんが出演されてましたけど、
前政権で軍隊に入っていた20歳代の若者が家に帰っても雇用がなくゲリラ化している人もいる、
だからこういう若者を受け入れる教育機関が必要なのでは、と言っていました。
奥元参事官だって小学校の環境の劣悪さを訴えていましたよね。
自衛隊派遣に費やす税金をそういう方面に活用してもらえれば、どんなに嬉しかったか。
ただ残念としか言えません。
これ以上不幸な出来事が起こらないことを祈ってます。

12月08日

まだのどの痛みと微熱の日々。
ふと昨日感じたが、もしかしてこれはシックハウスなのでしょうか?
前にも書いてますが、5月に壁紙を張り替えたり貼り直したりしてもらって以来、
ひどいシックハウスになってしまい、今でも二部屋は立ち入り禁止。
LDと和室1室はかろうじていられる状態。
もう半年は経つのに、たぶん前と比べれば随分良くなってはいるようなんだけど、
最近のこの寒さで流石に窓全開ならず、体調悪くなってから外出全然してないしで、
段々化学物質が蓄積されて・・・。
恐ろしすぎ!
この半年で確実3年は老け込んだ気が・・・。
思いついて換気扇つけてきました。
でも、寒いんだよ!!!

そういや何日か前にやっと『人間とは何だ!?』見ました。
サヴァン症候群について、
「幼児期に損傷した脳の部分を補うため隣接部分が肥大し再配置が行われた結果、ある領域で天才的な能力を発揮する」と前メモったけど
カレンダー計算能力に視点が当てられていて、私のメモとはちょっと違う解釈になってましたね。
でも、体内時計と関係していて、何らかの方法で原始脳に接触しているのでは?という考えはとても興味深いですね。
この人達が頭の中でどういう計算が行われて、正確にカレンダー計算を行っているか解らないように、
自然界では、様々な動物が本能的に危険を察して行動を起こしている訳じゃないですか。
大脳新皮質が発達したおかげ?で、そういう元来備わっていた能力を押さえ込んでしまっているってのは、ある意味皮肉。
でもそのせいで、ものごとを知性で推し量るようになり、概念というものを編み出し、文字を作り、文明を開花させていく・・・。
人は、夜の視力を代償にして色の世界を手に入れた。
また、緑豊かな大地を失い(土地が隆起したため)直立する必要に迫られた。
そんないろいろな要素が組み合わされて、爆発的な進化を遂げることになる。
『レインマン』のモデルになった人(やっぱ名前覚えてない)は、ものごとを概念というフィルターを通さずに見ると言っていた。
それは素晴らしい能力だと思うが、
原始的な方法でそれをやるのではなく、今この知性といいつついろんなものにがんじがらめになっている人間として、
概念の上に立ちなおかつ概念を取り払った状態でものごとを見られるようになって、先に進める気がする。
なんかね、後の世に名を残す宗教者って、一部は後の人達の都合で神に奉られちゃったりしてるけど、
そういうことの出来た人たちなんだと思うな。
あくまでも人間としてね。


12月06日

また『展覧会の絵』アップしました。
今回は前にもここで言っていた、映画で衝撃を受けたのが『ルー・サロメ善悪の彼岸』なら、
絵画にのめりこむキッカケとなった画家が、今回アップしましたギュスターヴ・モローです。
もう、彼の作品を見たいがためだけに、絶対パリに行きたい(モロー美術館があるんです)と思っている位大好きな画家です。
やっぱり携帯画像の限界を感じさせる(腕の問題のよう気も)汚いものになってしまったのが、口惜しい〜。
本当は一番好きな作品が載せられませんでした。
だって小さい画集なので、ページを開いた状態でまっすぐ撮れない(涙)んですもの。
その作品は「死せる詩人をはこぶケンタウロス」っていうものなんですけど、
10月末頃の日本経済新聞の文化欄で取り上げられていましたね。
旅行中の飛行機の中で発見し、どんなにその部分を破って持ってきてしまおうかと葛藤したことか・・・。
モローの作品には、弱弱しささえ感じさせる青年達の姿と、逆に魔力と激しさを発散させる女性達、
そういう所にとても魅力を感じています。
ユング心理学で解釈したらとても面白い発見がありそうな気もしますが、誰かやってくれないかなぁ。
趣味に走りまくってしまった『展覧会の絵』は、モローでとりあえずひとくぎりとなります。
本当は「マドリードの魔術的リアリズム」の方達も大好きなんですが、
まだ著作権に引っかかりそうな年代の方達なので載せられませんでした。
またヒマをみては、ぼちぼちアップさせてもらいますので、興味のある方は見てみて下さい。
さて、風邪も随分良くなってきたので、そろそろお勉強せねば!ですね。
マジ将来かかっているので、本腰入れて頑張ろうと思います。

12月05日

岡野玲子ってやっぱり笑かしてくれるマンガ家です。
たまたま昔のマンガを引っ張り出して読み返してみたんですけど、
『両国花錦闘士』、所謂お相撲さんマンガ、1巻のカバー絵が、
HPの『展覧会の絵』でも取り上げたバーン=ジョーンズの「黄金の階段」のパロディで、
化粧まわしをした相撲取り達が階段をそれぞれ下りているという構図。
発想が怖すぎ・・・。
つい発行された年を見たら1990年とあって、これも怖いものが・・・。
己の年を感じてしまいます。
それなのに進歩の全くない所が、いと哀れ。
最近は本もマンガも買い出したらキリがなくなってしまうので、極力買わないようにしている。
だから、逆に今何が流行っているのか知らなかったりするんだけど、時たま猛烈に読みたくなり、
仕方ないので昔買ったものを引っ張り出しては読んでいる。
岡野玲子と言えば今ではマンガ版『陰陽師』で有名になってしまったけど(残念ながら5巻までしか持ってない)、
『ディアーヌ・ド・ロゼの陰謀』という17Cのヨーロッパを舞台にしたものも描いていて、
これはお気に入りなので定期的に読み返している。
この人の感覚、好きですねぇ。
あとナンセンスと遊び心から言えば、トニーたけざきの『岸和田博士の科学的愛情』がむちゃむちゃ好きで
(あのアホらしさがすごすぎ、10巻以降出てるのでしょうか)、
これも定期的に読み返してます。
知ってる人が見れば、私の好みが解っちゃいそうですね。
所詮、こんな人間です。


12月04日

まだまだ風邪が良くならないです。
いろいろ精神状態どろ沼したから(今だってまだ完全に立ち直ってない)
免疫力落ちちゃってるってことなんでしょうね。
のどいたし、へろへろだし、やらなくちゃならない事が全然出来ないのが、悔しい。
時間がもったいない。

今朝、例の大学生と16歳の女子高生の殺人事件の検証ってのをやってましたが、
やはりHPを作っていた少女の方が、精神世界が強烈で大学生の彼を巻き込んでしまったようですね。
彼女自体は、HPの世界を創作だとはっきり言っているし、
誰しもが一度は陥る心の闇を創作も交えて過剰に(たぶん演技もしながら)ある一人に吐き出したため、
彼がその強い渦に飲み込まれたって所では。
勝手な解釈だけど。
でも、私もこの年になるまで、やはりいろんな闇を覗いてきた(と自分で思ってるだけ)ので、彼女の気持ちも解らなくはない。
また側にそれに理解を示す相手がいると、増幅されてしまい、止まらなくなることもある。
私も実際渦に巻き込まれて現実感覚が麻痺してしまい、ヤパくなったことがあった(何度もありました・・・)。
どうしてもそういうどこか歪んだ部分を持っていると、それに吸い寄せられる(逆に自分が吸い寄せられた)ように、
危険な人物と出会ってしまい、危険なスパイラルに陥って、どこかで歯止めがかからないと、犯罪にまで発展してしまう。
歯止めがなくなってしまったのが、現代の一番危ないところだと思う。
だって昔はコミュニティーだったから、誰かしらが目を光らせていられたけど、
今は隣で何が起こっても感知しないから。


12月01日

昨日の『TVタックル』、急遽番組内容変更で、イラクでの日本人外交官襲撃事件についてやるかと思ったけど、
予告通り「日本の学力問題」でしたね。
イラクの現状も大問題だと思うけど、この学力低下問題はもっと根の深い深刻な問題になっているようですね。
何年前だっけ「文芸春秋」の記事だったかな、
このような教育制度を継続していくと、ますます貧富の格差が広がり、階級社会になってしまうって、
誰かが書いていた(もしかして石原さんかな)。
昨日のタックルでも、調査によると親のレベルを3段階に分けた時、
成績や勉強に対する興味もそれに比例しているそうな。
また、東大合格者の多くは親の年収1000万以上だって。
うわっ、もう始まってるんじゃん。
これはヤパ過ぎでしょ。
一体官僚も政治家も日教組も何をやってるんでしょ。
本当は日本人の突出した学力を低下させようと、どっかの陰謀が働いているんじゃぁ、なんて勘繰ってしまう
(ユダヤ陰謀論ですか?んなバカな)。
立花隆が東大生の学力の酷さに懸念を表していたけど(東大でさえだよ!)、不安は絶えない。
ダメな国になっちゃうよ、このままじゃ。
詰め込み教育が良くないとか、ドロップアウト者を出さないとか、自分で考え表現する能力を養うとか、
綺麗事が通用すると思っているんだろうか、不思議だ。
実際、詰め込まれた知識の中から何かの発想が生まれたり、表現が出てきたりする訳で、
その大元がなければ何にも生まれないと思うけど。
だって『君が代』の歌詞、理解できたのなんてすっごい後になってからだよ。
それでいいじゃん、って思うのは私だけじゃないはず。溜息。
一体日本はどこへ行っちゃうんでしょうね。

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