11月30日

朝食食べてTVを見ているうちに猛烈な睡魔に襲われ、ソファに横になったら猫が胸の上に乗ってきて、
暖かくて抱きしめたまま1時間程爆睡してしまいました。
まだ寝起きなので1時過ぎたけどお昼も食べていない。だんだん空腹感が・・・。

ところで、外交官がイラクで射殺されてしまいましたね。
時間の問題だとは思っていたけど、何ともいえない気分です。
昔は日本人だって言えば開放してもらえたのに、今では標的になってしまっている。
今までのイスラム教国との信頼関係はどこへ行ってしまったのでしょう。
絶対自衛隊派遣、反対です!
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

昨夜『流転の王妃・最後の皇弟』第1話見ました。
竹野内さん好きなもんで。
長編なのにそれを感じさせませんでしたね。
軍部が勢力を握って危険な方向へと突き進み始めた時代、
日本人(というか軍か)の横暴さには同じ日本人として恥じつつきちんと心に刻まなければと思ってます。
でも、ちょっとだけいいキッカケになったと思うのは、日本が東南アジア諸国を占領下に置いたため、
その後、長い西洋列強国の植民地としての立場から独立できたってこと。
酷い仕打ちを現地の方々に行っていたのは、これもしっかり自覚して良い方向へ行くよう、
夫々が考えなくちゃならない事だと思ってます。
それなのに、今また道を過とうとしている。
アメリカに引き摺られてとは言っても・・・。
話は戻って、『ラストエンペラー』を見直したくなってしまいました。
確かビデオに録画してあるんだけど、そのビデオが見つからない・・・。
ベルナルド・ベルトルッチも好きな監督だったので、彼の作品、結構良く見てます。
探したら映画のパンフレットは出てきた。
ドラマとは溥儀の設定が大分違うようだけど、どちらも創作部分はあると思うので、
どう受け取るかは各自の判断ってことでしょうね。
よくは知らないけど、溥傑と浩の娘が、心中(でしたっけ)事件を起こした慧生だったんですね。
これからビデオの発掘努力してみよ!
そのドラマとかぶった『人間とは何だ!??』はビデオに録ったので時間がある時にでも。
流石に1時半過ぎたら空腹で意識が・・・。
この辺にしときます。

11月28日

今日は年上の美人(というと変な感じ)と飲み会。
仕事を辞めてから接触は全然無くなってしまったんだけど、それでもちゃんと誘ってもらえるので、嬉しいですねぇ。
でも、胃が・・・。
これは本格的に神経性胃炎になりつつあるようです。
東京で働いていた頃は、よく冬(2月頃が多かったかな)になると胃炎を起こし、
食事が殆ど取れない状況になることがよくあった(でも体重減らなかったな、何故?)。
あまりひどいと一度胃カメラ飲んだ病院で、抗生物質を処方してもらっていたけど、
こちらに戻ってからはこれだけ結構きてるのは始めてかな?
とにかく、嫌なことを、心に引っかかっていることを考えると、
その途端に、胃が重くなり鈍痛がはしり、背中も苦しくなる。
だからアルコールは控えた方がいいんだけど、でも、その友人と会いたいので行ってきます。

昨日の『クローズアップ現代』では秋吉敏子さんというジャズ界で有名な人をゲストに呼んでいました。
彼女、10代の時にピアノの才能を見出されアメリカに渡り、初めは着物姿で出演してとても持てはやされていたが、
段々と批評家が「ジャズはアフリカと欧米のもので、東洋人のジャズは本物ではない」と言われるようになり、
一時期断念しようとし、旦那さんに励まされたり、逆に日本人とは、といろいろ研究し、
30代にジャズと謡曲を融合させた曲を発表。
この曲が大ヒットし、日本人で始めてジャズ界の殿堂入りを果たし、
70歳を過ぎた現在でも現役で活躍している。
ジャズって全然興味がないので、そんなすごい人がいるとは知らなかった。
たぶん(すいません、知識不足)その人が、始めて邦楽をミックスさせたらしいですね。
海外で東洋人のいない世界で活躍する時、日本人であるというアイデンティティーを見つめ直すことによって、新たな境地に至る。
とっても重要なことだと思う。
まず日本人なんだって事を誇りに思い、その上(前提)で、物事を考えた時、
やっといろんなものが見えるようになるのではないでしょうか。
日本人ってやっぱり未だに敗戦のトラウマを背負っているから、どうしても日本人意識に希薄なところがあると思う。
もっと自分で足を踏みしめて先に進まないとね。
その意識があれば、どこへ行こうと誇りを持って生きていけるんだろうな。

11月27日

鬱って、その一つの特徴として涙もろくなるってのがあるけど、
やっぱりまだ鬱から抜けていないのかもしれない。

昨夜の『その時歴史が動いた』はマハトマ・ガンジー。
なんか知ってるような気がして、見るつもりはなかったんだけど、HNKニュースの続きで見てしまいました。
ガンジーっていうと、高校で倫社か世界史だっけ、「非暴力」を貫いてインドを独立に導いた人物と習った。
映画も見た。
だから知っているような気がしていたけど、殆ど忘れていましたね。
で、すごい人だと思った。
やはり育ちの良さと高等教育を受けていたってことが、しっかりとした思想を持ち、
それを貫く信念となるのに欠かせない気がする。
大抵革命を起こすのって、貴族の青年将校達とか、裕福な教育を十分に受けた人たちだったりする。
奴隷のような生活を強いられていれば、苦痛からそれを受け入れなくては生きていけなくなるし、
他の世界を知らなければ自分の置かれた状況を冷静に判断もできない。
私いつも思うけど、本当のお坊ちゃまやお嬢様って絶対人柄も優れていて欲も深くない。
ガンジーはそういう育ちだったのでは?
だから不当な差別を痛感できたし、その差別で苦しむ人々を自分を犠牲にしてまで救おうとしたんだと思う。
人を罰するより許すほうが気高い、なんて、普通の人には言えないし、実行もできない。
あと、ガンジーのような人物が生まれたのって、インドという土壌にも関係がある気がする。
イスラム教徒も多くいたと思うけど、ヒンドゥー教は多神教、
人の一生の中に最後はひたすら家を出て修行をするという人生観を持ち、
ゼロを発見し、仏教になるけど中道(どちらにも偏らない)という思想を見出した国。
多神教故の寛容さ柔軟さが、相手を許すという大きな心に結びついていったのでは・・・
(キリスト教も聖書じゃそう記してあるけど、とっても実行しているとは思えない!)。
インドが独立を勝ち取った後、イスラムとヒンドゥーが対立し、殺し合いにまで発展してしまう。
ガンジーは、宗教というのは神の現れのひとつに過ぎない(みたいな事だったと思う)といって、抗議の断食をする。
一神教には有り得ない思想だと思う。
それで皆武器を捨てるが、強硬派により暗殺される。
後に、インドという国をパキスタンとバングラディッシュという
イスラム教国で挟み込み封じようと画策したのはイギリスの政策だった。
宗教対立を利用して国力の弱体化を謀る。
世界の線引きを自由に出来ると過信している西欧列強国、
日本がバブルでおかしくなったように、
大航海時代から植民地時代へと移っていく中で、甚だしい勘違いが起こり、それが未だに根付いている気がする。
今資本主義対テロの対立が激化しているが、ガンジーの思想こそ第3の道では、という締め方で番組は終わっていたけど、
どちらも一神教である限り、もうここまで来ると「非暴力」の思想は浸透しないのでは、と思っている。
前世紀初頭に世界大戦があったように、今世紀初頭も暗雲が立ち込めている気がしてならない。

11月26日

やっぱり己の画像処理の下手さ加減に呆れてしまいます・・・。
また、ラファエル前派作りました。
でも、どうしても綺麗な画像処理が出来ない・・・(涙)。
自己満足のページなので、こんなもんで良しとしましょう。
まだまだ勉強不足。
やはりきちんとしたデジカメじゃないとダメなのかなあ、ため息。

昨日テレビ東京で放送している『美の巨人たち』、ビデオに録画しておいたのを見ました。
この番組、マニアックな作りで好きな画家の時は欠かさず見るようにしている。
今回は、ドイツロマン派のフリードリッヒを取り上げていました。
彼の作品は、好きだたけれど、彼についてはよく知らない状態だったので、
この番組を見たことによって、何故あれほど瞑想的な絵画を描き続けてきたかが理解できた。
それは、彼が13歳の時、目の前で1つ下の弟を亡くすという悲劇があったからだって。
ロマン派って、自然の中に神(神の力の現れ)を見て、それを表現するとのことで、
どの画家も皆南の光溢れる世界に目を向けているのに対し、
フリードリッヒは北の厳しい自然の中にそれを見出していた。
子供の頃失ってしまった弟に対する鎮魂の意味を絵画に顕していたのだと思う。
だからあれ程静寂と荘厳と寂寥に満ちた作品になっていたのだろうって。
『展覧会の絵』で取り上げている絵画でも解るけど、
私は耽美的なエロスの世界と瞑想的寂寞とした世界と両方に魅かれる。
対極にあるのが、一番好きなギュスターヴ・モローとフリードリッヒのような気がしてならない。

11月25日

3連休明け、復活の『ひとりごと』ですが、どうも体ぼろぼろです。
もともと本調子じゃないところにボジョレー飲んだせいか(明け方まで)、
翌日はすっかり二日酔い&胃痛が・・・。
もう久々最悪です。胃薬飲んでご飯食べてる(これでも食うか!)。
いろいろ悩みが尽きないのも胃痛の原因と思われるんだけど。
どうなんでしょ、正反対の人間同士、上手くやっていけるものなんだろうか・・・。
今までは仕事関係以外では、大抵似た考えの友人が多かった(だから今友人少ないんだよ!)。
どこか共感しあえるって感じで、いい刺激になったり、同じ気持ちでいたり、
それが仲間(恋人)意識を強くしていた。
今悩んでしまう相手ってのが、本当に正反対(いい意味でも悪い意味でも)で、ううう・・・になっている。
まずプラス思考ってのが私の苦手なところなのでこれは助かる、
あと、あまり悩まないらしいところもどっちかというと沈みがちな私にとってはプラスに働く可能性大。
だが、TVの番組ひとつとっても見るものが違いそうで
(例えば、相手が「さざえさん」←まじかよと突っ込み、なら私は「バンキシャ」)、
欲求不満になってしまいそうな気がする。
理想が高すぎる(と良く言われる)ので、幼馴染にも「あなたに合う人なんてこのあたりには絶対いない」と言い切られた経験が。
もう夢を見ていられる年じゃないのは解っているんだけどね。
でも悩む時間は残り少ない。

11月22日

友人が遊びにくるので、どっかこの辺りを散策って思っているけど、大寒波が来るって!?
寒さに弱いので(冬生まれなのに)厳しいです。

昨日月曜の衛星でやっていた映画『欲望という名の電車』見ました。
有名な問題作ってので、タイトルだけは知ってましたけど、見るのは初めて。
なかなか壮絶な話でしたね。
ここで言う"欲望"が、"死"の対極として使われ、その"欲望"によって破滅していく女性を描いた作品(と勝手に解釈)。
難しくてよく解らないっていえばお終いなんだけど、
主人公は、愛する夫を自身の幼稚さから自殺に追いやり、そのショックから、性依存に陥り、
やり直そうと全く違う虚飾に塗れた自分を演出するが過去を暴かれ、正気を手放してしまう。
だから何って聞かれたら、何を訴えている作品なのか・・・。
今はハリウッド系のハッピーエンドなアクションものが横行しているが、
昔の映画って結構悲劇的な最後を迎える話が多かった気がする。
やはり、悲劇で終わった方が心に深く残るし、その意味を考えようとする。
だいだい意味わからないけど。
私が始めて衝撃を受けた作品が、リリアーナ・カヴァーニの『ルー・サロメ 善悪の彼岸』。
ルー・サロメという強烈な個性を持った女性とニーチェと医師のポール・レーという男性の三角関係を描いた話。
ニーチェは最後脳梅毒が進行してボケ老人のようになってしまい、ポールは殺され、
ルー・サロメはリルケ(だったか忘れた)のパトロネスになり新たな人生を歩み始める。
この映画を見た後、妙な言葉では表せない気分になり、1週間は日常に戻れなかった記憶がある。
まだあまり映画を見ていなかった時だったし、若かったため、ストレートに反応してしまった。
今見てもそれ程の衝撃は受けないだろう。
後になって、大学の先輩に「この話はハッピーエンドだと思うか?」と訊かれた。
その時は「解らない」と答えたけど、今ならはっきり「ハッピーエンドだ」と言える。
なぜって、ルー・サロメはその後も自分を変えることなく生き生きと生きていくから。
それに他の主人公達もなるべくしてなる最後を迎えた(る)から。
私が受けた衝撃って、たぶん私がルー・サロメになりたかったし、ニーチェにもポール・レーにもなりたかったからかな。
これも後でゆっくり見直してみます。

高温多湿と寒さに弱い私にとっては、これ位の気候が一番快適なようだ。今日は快調!


11月21日

3連休中は忙しくなるので、今のうちに『展覧会の絵』アップしました。
やっぱりiショットでは限界があるようで、ほんっとにぼんやりとした画像になり残念。
今回はバーン=ジョーンズです。
ラファエロ前派ではダントツ大好きな画家です。
少しはこの絵画の美しさが伝わるかな・・・。
よろしかったら覗いてみてください。

11月18日

ここ数日奮闘していた新しいページ、『展覧会の絵』をアップしました。
まだ、一部なのですが、週一ペース位の更新目標。
まず今回は私のだっい好きなベルギー象徴派クノップフの作品3点。
とっても幻想的で綺麗なので、絵画に興味のある方は是非覗いて見て下さい。
自分で作成しておきながら、うっとり眺めている私って変態?
んなことはない。好きなものは好きということで。
明日は近場の映画館がレディースデイで1000円。
友達の希望で『木更津キャッツアイ』に。
本当は『マトリックス』も(これってやっぱりサイバーパンクを彷彿させ懐かしい・・・)『キルビル』も、
あと『陰陽師?』(もう上映危ない)も見たいけど、この金欠な日々でどれだけこなせるか。
もうすぐ『ロード・オブ・ザ・リング』も公開されるし。
こちらは、原作からのファンなので絶対外せない。

昨日は母方祖母の命日でお墓参りに行ってきました。
風が強く、あまりいい日ではなかったけど、気分はとっても爽やかに。
この祖母は、私が小学生の時に亡くなっているんだけど、
ちょっと死因がはっきりしない(田舎のことだから)ところもあって、気になっていたんだよね。
それが、3年前位かな、母親と話していたら急に祖母が降ってきて(変な言い回しだけど)
私の口を借りて「寂しい」と泣き始めるという事件(?)があり、
それ以来、なるべくお墓参りに行くようにしている。
それにしてもあれはけったいな感覚だった。
だって冷静な意識はあるのに、何かに同調して胸が苦しくなる程の寂しさを感じてもう涙がぼろぼろ。
頭おかしくなったかと思った。
でも、時たま変なことがあるので(心霊現象ってより同調現象)何かの拍子に何かが同調しちゃうってのがあるのかねえ。
自分では殆ど霊感ないと思っているんだけど。
怖い経験は何度かあるが、気配は感じるけど見えないのよ。
でも怖いもの見えちゃったらトイレにもフロにも入れなくなっちゃうから助かるけど。
もっと違う事を書こうと思っていたけど、今日はこの辺で。
ちょっと行っちゃってる人みたいな話題で終わってるのがイヤだけど、まあいいや。

11月17日

今新たなページ作りの画像集め&資料集めで奮闘中。
絵画の撮影ってやっぱり難しかった。
なんと言ってもちゃんと並行にしなりと歪む歪む。
まるで私の性格のようだ。
で、フォトレタッチでちょい編集ってところか。
本当はいろんな有効な編集方法あるんだろうけど、
なかなか頭がついていけない年頃になっているもんで、
とりあえず切り出しときゃいいや、的な編集になってる。
でもこれら本当に公開して大丈夫なんかよ!って感もしなくもないが、
大丈夫だよね(誰に訊いてる?)。
そういえば、小さい時から、いろんなものになりたかった。
まず初め思ってたのは、マンガ家。
でも絵が下手なので断念。
天文学者ってのもあった。
星座がどうしても星座に見えなかったので諦める。
アニメーターってのもあったが、いつの間にかアニメに興味がなくなり終了。
小説家になる、と豪語してた時もあり(今でもなれるものならなりたい・・・涙)、
やっぱりダメだろうな、と。
なぜって、細部に拘る性格のため。
たとえば、主人公が朝起きました。
ご飯食べて歯を磨いて服を着替えて、
と日常のいちいちの動作やその時の気持ちとかに引っかかって先に進めなくなる。
ありゃ、だめじゃん、ってなもん。
あと音楽ってのもあった。
高校の時バンド組んでて、結構ライブなんかもやっちゃったりしてたんだけど
(当時地元ではちょっとは名を知られてたの、これでも)、
音痴だし、ギター担当だったが、指が動かない、勿論オリジナルも作れない。
ああ、私って創作側の人間じゃないのね、と今に至る。
学者も目指そうかと思ったけど、やっぱり人間関係、
というよりプチ『白い巨塔』な世界に嫌気がさして逃げ出す。
何をやらせてもまともに出来ない半端な人間で終わってます。
その程度の人間だってのは解ってるんだけどね。
大器晩成なのさ!!ということで。
今日はこれから外出だから、ニューページの作成出来ないなあ。まあぼちぼち。
そういや、もうすぐボジョレー解禁だぁ〜!!!

11月16日

ネット上の著作権について。
いろいろ泳いでみました。
いろんなHPさんで解りやすく解説されていて、
なんの悪気もなしにやっていることが、
実はいろんな規制に引っかかってるかもしれないという怖さを感じました。
だって、日記なんて、わざわざ著作権がどうのなんて考えて書いちゃいないじゃない。
それが、一度ネットに公開されると、いろいろな規制の対象になってしまう。
自主出版と同じ扱いになるのかなあ。
とってもお手軽すぎて自覚ないっす。
で、だいたいの理解、絵画は著作者の死後50年(国によっては60年)たっていれば、
人類共通の財産として公開してもOKだってこと。
また、本の文章とか、『引用』という形をとれば(書名、引用箇所明記)
これも著作権に抵触しない、と。
そういえば、学生の頃論文を書く時、よく何のどこから引用ってことで、
脚注をつけてました。
それと同じなわけね。
(その頃は著作権なんて毛程も感じませんでしたけど)
それなんで、近々趣味のギャラリー的なページでも作ろうかと。
昔はいろんな好きなものがあったけど、
その中で、絵画はもう好きな作品だと一日見ていてもうっとりが抜けない程好きでした。
あんまり好きな人の作品だと同じ展覧会に何回も足を運ぶほど。
そんなもろ偏りまくりの趣味のページをつくれたらなあ、なんてね。
ただ、画像処理のテクニック未取得。そこが問題・・・。

11月11日

ところで昨日の訂正、
自民が前回より議席上回ったって書いちゃったけど、
前々回?つまり森さんの時、の間違いでした。
何間違ってるんだろ。
まあ、ボケかましたということで。
今日は今のところ比較的落ち着いてます。
ここで、いろいろ吐き出しているってのが、精神安定剤になってるみたいです。
匿名だからいいやって書き散らかしてるけど、
こういうのって、どこか孤独で、
誰かに解って貰いたいって欲求があるからなんですよね。
だって、ただ書き散らかすだけなら、個人的な日記でいいわけだもの。
自分だって知られたくないけど、孤独な叫びを聞いて欲しい、
って矛盾してますねえ。
こういう性格だから、叫ぶだけで自己完結しちゃってます。
本当は、ネット社会だからこそできる、仲間を作って、
そこでいろんな人と接しながらってのが、より健全なんだろうけど、
そこまでの余裕はまだない。

11月10日

それにしても昨日の選挙速報は面白かった。
騒がれていた割に投票率が低かったのが、面白さに水を差したね。
もしもっと皆さん投票に行っていたら、民主過半数なんて面白すぎる状況も起こったかもしれないのに、
残念。
布団にもぐったまま、田原さんの『選挙ステーション』見てたけど、
睡魔に負け、気を失い、ふと気付くと1時半。
当確残2なのを確認して寝ました。
なんだ、自民、前回上回っているじゃん。
思わぬ人が落ちたり当選してたり、と世相を反映してましたね。
熊野ツアーの勝浦で手を振った保守の二階さんは当選してましたね。
それにしてもこの辺りは保守的なところなので、
全区自民当選で毎度のことながらつまらなすぎ!
もっと投票しがいのある土地柄になってもらいたいものです。

今日はまた一段と冬が近づきつつあるのを感じさせる寒さ。
また手を凍えさせて入力してます。
今、また決断をせまられている。
前、会社退職の送別会(親しい人のみ)の時、家まで送ってもらって、
そこで上司(本当によくしてもらったんだよ〜)に言われました。
このままじゃダメだ、って。
運転手役の事務の人(お酒だめなのに4時まで付き合ってもらった上に送ってもらってる・・・)が、
「預けちゃえばいいんだよ」だって。
その上司も一言でいうとそういうことだ、って。
今その意味が解るってか、その決断を迫られている。
プライドが高いのと、今まで結構人に裏切られてきたりして、
どうしても、他人に自分自身を放り出す(預ける)事が出来なくて、
心の中の中のどっかで、頑丈な壁を張り巡らせていて、
それがネックになり、また失敗するというパターンを繰り返している。
占ってもらった時も、石になって転がってると言われた。
でもそれが時たま毒を撒き散らして暴れるんだって。
すっごい言い当てられている。
石になるのを止めないと、チャンスをみな逃すと言われた。
今、そのチャンスが目の前に転がっているのに、
やっぱり石になっちゃって、身動き取れなくなっている。
ちょっと苦しいっす。
やっぱりこれ逃すと、ヤバイ気がしてる。
どうしたら、『預ける』ことが出来るんだろう。
それさえ解らないって、まるで虐待児が愛を受け入れられないのと似ている気がする。
ちょっと大げさ。
あまり時間がないんだよね。
どうにか心を決めて、もっと上手な生き方が出来るようにならなくちゃ。

意味不明の『ひとりごと』になってしまった・・・。

11月06日

すっかりタイトル覚えていないけど、月曜の特番のカエサル、夕べやっと見ました。
しばらく前に『その時歴史は動いた』でもやってましたよね。
有名な「賽は投げられた」とか。
その「賽」って「さいころ」の賽なんですよね。
さいころのどの目が出るかは、神様次第ってことなんでしょ?
「賽」って不思議な言葉ですよね。
調べればいろいろ出てくるんだろうけど、賽の神とか賽の河原とか、
この世とあの世との境目って感じで、
人の力の及ばないものってところなんでしょうか。
誰か研究してるのかな。
話は戻って、思わずJ・M・ロバーツという人のローマを舞台にした
ミステリーを思い出してしまった。
これが、何が大変って登場人物の名前が・・・。
まず主人公なんかデキウス・カエキリウス・メテッルスってあたりで???
そんな名前のオンパレードで、登場人物一覧を見ながらでないと、
全く解らない。
最後まで苦戦しました。
そのミステリーにまだ若き頃のカエサルなんかも出来くるんだけど、
思わず本を引っ張りだしてしまった。
1冊目が行方不明、2冊目はどうにか発掘。
その後出続けているのでしょうか。
全然チェックしてなかった。
気力があるときにでも、読み返してみましょう。
ここでも、元老院というかローマ貴族の腐敗っぷりがふんだんに記されてて、
そういう所が面白いんだよね。
腐敗といえば、日本も相当腐敗しているけど、
ちょうど時代の変わり目なのか、
小泉さんが元老院を改革するプチ(にも及ばない)
カエサルになれるのか(絶対ムリ)、
民主党が伸びてくるのか。
改革(というより壊しや)の小沢さんが合流して、
また一段とパワーアップしたのかダークになったのか、
でも、現状を見るとやはり民主党にがんばってもらうしかないのかあ、と。
菅さんがずっと言い続けている2大政党制、
これは実現しないとほんとにヤバイところにきてるよね。
政権交代の可能性がなければ、既得権益にしがみついて腐敗はとめられないし。
まさに元老院じゃん。
てか、どこも始まりは優れているんだよね、
高い理想や広い視野強い信念から始まって、
だんだんとマンネリ化し、しがみつくようになって、どろどろになって、
また一新されて。
国だって文明だってその繰り返し・・・。
人間ってなんて学習能力がないんでしょ。
あと、カエサルのスペシャルで考えさせられたのが、
多神教と一神教。また話が長くなりそうだな。
資本主義対共産主義の次はまた昔に戻ってキリスト教対イスラム教かよ!
多神教はなんでも飲み込んで同化させる柔軟性を持つのに対して、
一神教って断罪の宗教じゃないですか!
キリスト教に関していえば、いろいろな所で形を微妙に変えながら
(そういうところってマリア崇拝が強いよね)
その土地に溶け込んではいるけど、
どちらも原理主義という強硬派を生み出すあたり、怖いと思う。
一神教的なものと多神教的なものとの融合ってのが、
何かの解決手段になるような気がするけど・・・?
訳わからなくなってきた。
とくかく、結論、皆さん選挙に行きましょう!
ってところかな。

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